カテゴリ: 日本人選手



テキサス・レンジャーズは、マイク・アダムスとコージ・ウエハラという強力な右腕二人を加えた。

テキサスのリリーバーたちは、火曜日の試合で14イニング連続無失点となった。 彼らは最近の25イニングで1失点しかしておらず、ここ17試合の防御率は、1.29だ。

「良いことだ・・・。続けたいね」ピッチャーのダレン・オリバーは言った。「彼らの調子が良いのは、みんな知っている。8回は、彼らに投げてもらったほうが良いよ」

アダムスは、8月2日にタイガースのブレナン・ボッシュにホームランを打たれた。それは彼のレンジャーズでの、初めての登板の日だった。その時以来、7回の登板機会で7回1/3イニングを無失点だ。ウエハラは最近5試合で1失点 、オリオールズから移籍してきてからの防御率は2.70だ。

「私たちが見たところ、彼らの性格は勝つことに向いているね」ロン・ワシントン監督は言った。「彼らがマウンドに上がった姿は、まるで猛獣だ。彼らは、アタックして、アタックして、アタックする」

ウエハラは、マウンド上で独特の動きを見せる。相手を押さえ込んだ時、拳を握りしめて小さく跳ね回るのだ。

「私は、あれが好きだ。エネルギーだよ。彼はそのエネルギーで、仕事を全うするんだ。彼の全てを物語っている。なぜ彼が、マウンドに立っていられるのかをね」

元記事:
Uehara, Adams have Texas bullpen on roll  By T.R. Sullivan / MLB.com  08/16/11 9:41 PM ETの一部抜粋です。
http://mlb.mlb.com/news/article.jsp?ymd=20110816&content_id=23292324&notebook_id=23301146&vkey=notebook_tex&c_id=tex&partnerId=rss_mlb

ba-as15_0503628253_part61ヶ月ほど前のヒデキ・マツイには、今年が最後のメジャーリーグシーズンかと思われた。オールスター休暇前の彼の打率は.209だった。

38才のマツイは、21試合で82打数37安打(.451)と異常な活躍を見せている。彼はシーズン最長の15試合連続安打中で、その間4本塁打13打点だ。彼は不調から抜け出し”頼れる男”になった。

「この状態が続けば良いね」ボブ・メルビン監督は言った。「彼が打席にたてば、私たちは彼がヒットを打つと予想する。私だけでは無い。ベンチにいるみんながね」

それは突然、彼のキャリアが継続したのかのように見える。しかしマツイは、いつもそれを意識しないようにしている。

「僕は本当に、来年のことは考えていない」彼は通訳のロジャー・カーロンを通していった。「まだシーズンは2ヶ月残っているから、僕たちはそれをどう戦うかだね」

彼は、アスレティックスに残りたいのだろうか?オークランドは、何回かクリス・カーターのDHを試している。しかし彼は、不確実性が残っている。そしてマツイは、彼の膝が問題なければ、いまだ堅実なレフト選手であることも見せている。

「シーズン後の事は考えていない」彼は言った。「一方で、僕はこのチームとチームメイトを気に入ってる」 

ビリー・ビーンGMは、アスレティックスのフリーエージェントに対する決定は、シーズン後になると言った。しかしマツイについては「数週間前を考えると、信じられない変化だ。それは彼の状態が良ければ、ラインアップに必要だということを示している。なぜなら攻撃力が、かなり回復したからだ」

参考記事:A's Hideki Matsui back to being 'Godzilla' Susan Slusser, Chronicle Staff Writer Monday, August 8, 2011 SFGate
http://www.sfgate.com/cgi-bin/article.cgi?f=/c/a/2011/08/08/SPF91KKUBV.DTL&feed=rss.athletics  

ヒロキ・クロダは、ワールドシリーズを争っているチームへ移籍を可能にする、トレード拒否条項の破棄をしないと先週ドジャースに伝えた。ネッド・コレッティGMは、彼の決定はこの日本人の右腕投手が、いかにロスアンゼルスを気に入っているかだと言った。

ドン・マッティングリー監督も同様の意見を持っていて、英語を話さない選手がシーズン中に移籍するのをためらうのがどうしてなのかを説明した。

通訳を通すことで、何かが失われるのだ。

クロダは、今回の決定は以前の決定に関係があるといった。それは昨冬ドジャースと結んだ契約のことだ。そしてそれは、その前2008年にドジャースとの契約書にサインしたことに遡る。

その時から彼のゴールは、ドジャースでワールドチャンピオンになることだと言ってきた。そしてその目標が日を追うごとに遠ざかっても、彼自身でコースを変えることはできないと言った。

「僕にその気持ちがまだ残っていると言うことは、僕にとっては大きい」クロダは言った。「自分の気持に正直でないと。もしそうできなければ、自分が誰なのか解らなくなってしまう」

クロダは、以前のドジャースの三塁コーチ、ラリー・ボワの意見を耳にした。彼はMLBネットワークで、優勝争いできないチームから、それができるチームへのトレードを拒否するのは、精神構造を疑うと言った。(ボワは、木曜日の電話インタビューで、そのコメントは米国生まれの選手に向けたもので、クロダの場合は事情が異なると言った)

クロダは、スポーツ選手の究極の目標は、勝つことであることは解っている。そして彼のドジャースに残るという決定が、野球が最優先事項では無いのではという誤解をアメリカ人に与えたことも理解している。しかし彼は、彼にとって野球がとても重要なのでその決定をしたといった。彼は野球キャリアを変えることで、彼自身が変わってしまうのを恐れたと言った。

彼は遅咲きの選手だ。彼は高校時代、試合ではほとんど投げていない。そしてワイルドとの評判と共にプロの世界に入った。彼は十代のころからの信念を貫くことで、コントロールピッチャーへと成長した。

「それが今日の僕がある理由です」彼は言った。

クロダは、なにか小さなことがより大きなことに悪影響を与えないかと恐れている。例えば彼のトレード拒否条項がどのように彼のキャラクターに影響を与えるかだ。特に日本においてだ。 共同通信の野球記者タカシ・ヤマカワによると、こうだ。

日本社会は、競争相手を攻撃する政治家とテレビの広告主に反感を持つ。それで大衆の支持が低下するのを恐れているのだとヤマカワは言った。ビーンボール合戦は、野球文化の一部だとは思われていない。なぜなら、暴力を増長するするからだ。

先月テキサスで試合中にボールをキャッチしようとしたファンが転落死したが、日本の球場で人が死んだことは無いとヤマカワは言った。

「フェンスがとても高くて、ファンが選手から直接サインを貰うことなんてできません」彼は言った。「全てが事前に考えぬかれています。負の可能性はすべて排除されているのです」

「アメリカでは、あなたがしたいように行動できる。それが多くの日本人がここに来たがる理由なんです。しかしこの自由さが時々トラブルの元になるのです」

そうクロダは、アメリカの球団と契約したのだ。

彼はこの国の文化に合っていないのだろうか?

クロダは、そこがポイントだと言った。

彼はドジャーズに来て、投球プログラムを変えた。彼は投球数を制限する事を受け入れた。日本には無いものだ。彼は2008年のポストシーズンで、フィラデルフィア・フィリーズの外野手シェーン・ビクトリーノに報復球を投げた。彼がした外国の投球だ。

しかし彼は、基本的な思考プロセスを変えることはできなかったと言った。

「それは生まれついてのもの」彼は言った。「それは僕の両親から僕に伝えられたもの。僕はそれを守っている。もし君が、それを変えてしまったら、それはもはや君では無いでしょ」

それでもクロダは、アメリカのファンが彼のプロ意識の欠如の印としてドジャースを出ることを拒否したと誤解されることを懸念していたと認めた。だから火曜日にサンディエゴでマウンドに上がったとき”絶対に勝たなければならないと思っていた”と言った。

彼はやった。7回を無失点に抑えた。

しかしまだ誤解がある。

マッティングリーは、クロダはとてもリラックスしており、トレード期限が過ぎたことで彼の心に落ち着きが戻ったのだろうと言った。みんなそうだけどねと言い、マッティングリーは笑った。

「二度とリラックスするなって、彼に言うよ」マッティングリーは言った。

参考記事:By remaining with Dodgers, Hiroki Kuroda stayed true to himself By Dylan Hernandez August 4, 2011 7:50 p,m, Los Angels Times
http://articles.latimes.com/2011/aug/04/sports/la-sp-0805-dodgers-kuroda-20110805  

Hideki Irabu
ヒデキ・イラブが14年前にニューヨーク・ヤンキースに入団したとき、国際的な興奮とうねりをもたらした。炎の剛速球を投げた右腕の日本人はアメリカ野球界の大スターになる運命だと思われた。

イラブがこの大きな期待に応えたことはついに無かった。そして彼のキャリアはスパイラルに陥った。42才だった彼は水曜日、ロスアンゼルス郊外のランチョ・パロス・ベルデスの自宅で自殺しているのを発見された。

「彼は世界レベルの投手だった」元メジャーリーグ監督のボビー・バレンタインだ。彼は、1995年に日本で彼の監督をしていた。「ノーラン・ライアンが彼を見たとき、彼はこんな投手見たことないって言ったんだ。彼は私がそれまでに見たベストの投手だったことが数回あった。素晴らしい投手だった」

ロスアンゼルス郡検視官のエド・ウインターは、彼は自殺と発表したが、詳細は明らかにしてない。検死解剖が金曜日か土曜日に行われる予定だ。

イラブは日本のノーラン・ライアンと期待され、1997年にアメリカに来た。98マイルの剛速球を投げる先発投手で、三振を取る投手だった。それは前年のワールドチャンピオンには、余りある補強だった。

その夏にヤンキースで衝撃的なデビューを飾った後、彼はブロンクスで三年に渡ってヤンキースと彼自身を失望させた。代わりに彼は、ヤンキースのオーナー、ジョー・スタインブレナーから不名誉な称号を授かった。”太ったヒキガエル”それは、オープン戦で彼が一塁のベースカバーに失敗した後だった。

イラブはヤンキース、その後モントリオールで2年、最後のシーズンはテキサスのブルペンで、計34勝35敗、防御率5.15を記録した。 彼は2回、ヤンキースワールドシリーズ制覇のメンバーだが、彼がポストシーズンで投げたのは、1999年のアメリカンリーグ優勝決定戦、ボストン戦に一回だけリリーフ登板したが、13本のヒットを打たれた。

イラブはアメリカの独立リーグで投げ、近年では日本の独立リーグチームと契約したが、その間も彼の家族は南カルフォルニアに住んでいた。近所の人々は、彼が最近離婚して落ち込んでいたと思っている。

ヒューラリクトは、彼女が水曜日の朝、息子を送って行こうと外に出たとき、ロスアンゼルスの港とダウンタウンが見渡せる丘の上に建ったイラブの広い2階建ての家から、男性が私道を駆け下りてきて、彼女に警察を呼ぶように頼んだと言った。

ヒューラリクトは後で郡保安官代理から、イラブは彼の妻が彼の二人の若い娘たちを連れて出て行ったとき、何か助けを求めなかったかと尋ねられた。彼女は、イラブの妻と子供たちと2ヶ月間会っていなかった。彼女は、彼の家族は毎年夏になると街を離れていたと言った。

「私が1ヶ月前に彼を見たとき、彼はとても落ち込んでいるように見えました」彼女は言った。「彼は、以前のような元気な彼では無かったわ」

イチロー・サカシタ、彼は自分をイラブの友達だと信じている。彼は、木曜日の遅くにかつての選手の家の前に大きな花束を置いた。サカシタは、彼は野球のコーチになりたくて、引退後もスポーツを続けていた。しかし最終的には彼は家族と過ごすことに決めたと語った。

サカシタは、イラブと彼の妻は約1ヶ月前に別れたと言った。

「彼は天国に行こうと決めたんだ」彼は言った。「だから私たちもそれを受け入れないと」

イラブは、スポーツ界で今週二人目の自殺者だ。警察は月曜日、ユタ渓谷でフリースタイルスキーのオリンピック、アメリカ代表、ジレット・”スピーディ”・パターソン が彼自身を撃ったと言った。

バレンタインがイラブのニュースを聞いたのは木曜日、それは彼の携帯電話に届いた。

「それを聞いたときは、気分が悪くなった。実際にね」彼は言った。

イラブは、大リーグでヒデオ・ノモの先駆的な業績に続くことに挑戦しに、日本から来た数人の投手のうちの一人だった。イラブは探究心も旺盛で、体中に磁石を巻きつけて登板したこともあった。健康をもたらすことを期待したのだ。

しかしイラブは、メジャーリーグで苦労した。しかし同時に、永遠の遺産を残した。イチローやヒデキ・マツイなどのビッグスター達だ。彼らはノモとイラブについで、日本からアメリカに来たのだ。

「彼は先駆者の一人だ」バレンタインは言った。「彼の果たした役割は大きかった」

イラブが日本で注目されたのは、一昔前にサンディエゴ・パドレスが千葉ロッテ・マリーンズから彼の契約を買った時だった。しかしイラブはパドレスに行く気は無く、彼が要求したのはヤンキースでプレーすることだった。

ヤンキースは数カ月後に、彼を含めたトレードで彼を獲得し、彼は4年12.8百万ドルの契約にサインした。

「ヒデキ・イラブのご逝去を知って、私たちは深く悲しんでいます」ヤンキースの公式コメントだ。「ピンストライプを着た全ての選手は、永遠にヤンキースの一員です。そして彼の死をチーム全体で受け止めています」

イラブは1997年7月10日にヤンキースタジアムでメジャーデビューする前、マイナーで僅か8試合しか投げなかった。観客は、彼が投げる前から興奮していた。そして2つの国のファンたちが注目していた。”イラブ台風”と書かれたTシャツがヤンキースタジアムの売店で売られ、スシはホットドッグとビールの側で売られた。

現ヤンキース監督のジョー・ジラルディは、その夜の彼のキャッチャーだった。イラブはデトロイトの最初のバッター6人のうち4人を96マイルのファストボールで三振にとった。彼は6-2/3イニングで9点の援護を貰い勝利した。7回に彼がマウンドから降りるとき、ヤンキースファンは彼にスタンディングオベーションを送り、何人かは両手を頭の上に上げてお辞儀までした。そしてイラブは、ダッグアウトを出てカーテンコールに応えたのだ。

しかしその時が、彼のメジャー生活における最高の瞬間だった。

「彼の投球は進歩したけど、それだけでは駄目だったんだ。私は、彼がプランを持つか、他の誰ががプランしてあげていればと思う」バレンタインは言った。

イラブは、2002年にテキサスでチームトップの16セーブをあげた。彼のメジャーリーグキャリアでセーブを記録したのはこの年だけだ。

彼が2003年に日本球界に戻ったとき、彼はこの新しい挑戦を楽しんでした。オールスターゲームで勝ち、13勝8敗で阪神の優勝に貢献した。18年ぶりのリーグ優勝だった。

イラブはアメリカに戻り、2009年4月にゴールデン・インデペンデント・リーグのロングビーチ・アルマーダで5勝3敗、防御率3.58を記録した。その後、彼は日本に戻り、8月に高知ファイティングドッグスに入団した。「僕は自分にすごく期待してます」その時の彼の言葉だ。

しかし近年のイラブには、トラブルが絶えなかった。

2008年8月、彼は日本で逮捕された。20杯のビールを飲んだ後、店員に暴行したのだ。警察は、支払いの時に彼のクレジットカードが使えなかったことに彼が腹を立てた、と言った。

2010年5月、イラブは、ロスアンゼルス郊外のガーディナで酒気帯び運転の容疑で逮捕されている。 警察は、彼は道路の走行帯の外から車を乱暴に止めた時、駐車していた車にぶつけそうになったと言った。

彼は5,000ドルの罰金を払ったが、それで終わりでは無かった。彼は刑事起訴されたのだった。

「彼の最大の敵は、彼自身の中にいたんだ」バレンタインは言った。

元記事:Irabu,
42, dies in suspected suicide,Associated Press,Updated Jul 28,2011 9:46 PM ET
http://msn.foxsports.com/mlb/story/Former-New-York-Yankees-pitcher-Hideki-Irabu-dies-in-suspected-suicide-at-age-42-072811


真夏の日差しが降り注ぐ午後のマンハッタン、46百万ドルのヤンキースの投手は、イーストサイドのおしゃれなアパートから姿を現し、球場へ向かうために、待たせていた運転手付きのレクサスに乗り込んだ。

しかしその車は、北に5マイルほどにあるヤンキースタジアムには向かわない。代わりの目的地はペンシルベニア州スクラントン。井川慶はそこで5年もの間、ヤンキースの2つのマイナーリーグ・チームで投げている。毎日、毎日、そして先発のあとの先発が、マンハッタンへ戻ってくることで完了する。

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ほとんどの選手たちにのためにある”ホーム”という言葉は、ヒデキ・マツイにとっては曖昧なものになっている。彼は、8年前にアメリカに来て以来、常に居場所を確保している。

37才のベテランは、ニューヨークの強さとロスアンゼルスの派手さを経験し、そして今
オークランドベイエリア野球を取り巻く落ち着き静かなオーラ 、本質的には徐々にゆっくりになっている長いキャリアの歩みに合った雰囲気に包まれている。

マツイは、ワールドシリーズチャンピオンと2回のオールスターを経験している。ヤンキースタジアムでの数々の活躍については、説明する必要がないだろう。より成功したとは言えないが、昨年はアナハイムで145試合出場し21本塁打、84打点を記録した。
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彼がオークランドに残す跡は、比較すれば間違いなく控え目になるだろう。アスレティックスは、金曜日からニューヨークとの3連戦が始まるが、その時マツイはニューヨークに凱旋する。彼は、81試合で打率.223、たった7本のホームランだ。数字的には、みんなを失望させている。

「今年のパフォーマンスを見れば、悪いとしか言えない」マツイは通訳のロジャー・カーロンを通して言った。「正直なところを言えば、僕がアメリカに来てからの自己評価は、一年目を差し引いても全てが良かったとは言えないね」

マツイが日本でデビューした年の成績は、奇しくも今と同じ打率.223、11本塁打だった。その後18年で489本の本塁打を積み重ね、水曜日デトロイトで通算500本塁打を達成した。日本では、332本打っている。

これだけでも、立派な偉業だ。しかし彼は、後半戦に入ってから調子を上げてきている。マツイのオールスター休暇明けの成績は、すでに打率.421、9打点だ。

「彼はいつも後半戦の男だよね」ブライアン・フェンテスは言った。彼はエンジェルスでもマツイのチームメイトだった。「彼はボールが良く見られるようになってきたから、これからは間違いなく、いつもの彼が見られるよ」 

「過去の成績を振り返ると、その通りなんだよね。気温が上がってくると、良くなる」マツイは言った。「もし今年もすでにそうなってきているのなら、僕のメカニズムがそうなっているとしか、言えないな」

マツイの前半戦での生涯打率は.280、OPS.819、これが後半戦になると打率.291、OPS.855に跳ね上がる。これは全てのシーズンで同じ傾向だ。この傾向は、ボブ・メルビンが監督代行に就任して以来、彼に与えられたレギュラーの座を死守していくためには良い事だ。

アスレティックスの監督は、マツイをDHのレギュラーとして使うことに迷いはない。投手の左右に関わらずだ。前任者のボブ・ゲレンはマツイを対右投手で37回使ったのに対し、左投手ではわずかに9回というのとは大違いだ。

マツイは、ボブ・メルビンが就任した6月9日以来、オークランドの35試合で先発出場が31試合、うち9試合はレフトの守備にもついた。アスレティックスの監督は、彼のラインナップの目玉が希望を与え続けることを期待している。

「それは大きいね」マツイは言った。「去年以来、僕はほとんど毎日試合に出ていたけど、今の僕の状況でそれは、間違いなくやる気が出るよね」
「確かにレギュラーで出れなかった事は、僕にはショックだった。毎日試合に出ることで、自分自身のモチベーションを上げて、準備するんだ。わからないけど、レギュラーでないと打席に立つまではチャンスを活かすことに集中できないんだ。やっぱり、良く解らないけど、気持ちと結果は繋がっているものだと僕は思う」

マツイはヤンキースでの最初の3年は、全試合に出場した。メジャーリーグキャリアが始まってから連続518試合という最も長い記録だ。それに日本の読売ジャイアンツでの1,250試合を加えると、1,768という数字になる。

これらの記録がマツイにはあるが、彼は彼の役割とは関係なく大きな責任を感じている。しかし、5割まで12ゲーム差のこのチームにおける彼の位置づけは、アメリカンリーグ西地区のトップに少しでも近づくために、彼の現在の活躍を維持することが、個人的な記録より重要だ。

「僕には、何がより難しいかって言うと、勝つのか負けるのかっていうことだね」彼は言った。「チームが勝った時は、嬉しいし、負けたときには、同じ気持にはならないよ」

「僕の経験から言えば、打線っていうのは、伝染しやすい。なぜ、今年のチームが低迷しているのかの理由を見つけるのは難しい。たぶん今年だけのことかもしれない。だけどちゃんと分析して、具体的な理由を見つけないと。大変なことだけど」

マツイは、彼のキャリアの終りについて、すでに考え始めている。そしてそれは、そう遠くないのかもしれない。「シーズンが終わってから、次にどうするのかは決めますよ」彼は言った。しかし、今のチームに残れるのかに注目が集まるだろう。

「彼は本当に真面目にコツコツと仕事をする男だ」メルビンは言った。「一つ僕が彼に感心するのは、彼に関する悪い話を一回も聞いたことが無いことだ」

「彼は間違いなく無欲な選手だ」フェンテスは言った。「今シーズンの早い時期から、彼が望んでいるような充分な出場機会を与えられなかった。 でも、君たちは、彼から泣き言なんか聞いたことがないだろ。君たちは、彼の心の中を伝えることができないんだ。彼は本当に良いお手本だ。明らかに、言葉ではなく、しっかり彼を見て。そして成績や彼がこれからどうするかは、関係ない。それは、僕たちが彼をどう見るかなんだ」

元記事:Veteran Matsui hopes for second-half surge 
By Jane Lee / MLB.com | 07/21/11 1:59 PM ET 
http://mlb.mlb.com/news/article.jsp?ymd=20110721&content_id=22108478&vkey=news_mlb&c_id=mlb&partnerId=rss_mlb 

無題

ヒデキ・マツイは、自分が500本ホームランクラブのメンバーになるとは思っていなかった。

そして彼は、彼に期待していた人たちから、それについての質問が来なくなるのを喜んでいる。

マツイは、日米通算500号となるホームランを水曜日に打ち、それはオークランドアスレチックスが、デトロイトタイガースに7-5で勝利した試合で、リードを奪うスリーランだった。

彼はメジャーリーグで168本、読売ジャイアンツで332本のホームランを放っている。

「打てて、嬉しいです。でもそれよりも、チームの勝利に貢献できたことのほうが大きいです」マツイは、通訳を通して言った。「記録を、目指してきたわけではないですし、日本での数字と、ここでのそれは別物だと思ってますから。僕は、その辺は分けて考えています」

オークランドの、ボブ・メルビン監督はこれに同意しない。

「彼が、どこで何本打ったとか、別物だとか、私は気にしないよ」彼は言った。「ここが、メジャーリーグで、日本には日本のプロ野球がある。そしてこれは、素晴らしい選手の偉大な業績だよ」

マツイは、6回に6月16日以来となるそのホームランでスコアを3-2とし、試合を引っ張った。

「その瞬間が見れて嬉しいね。だって彼は、長いことそれでからかわれていたから」オークランドの先発投手、ブランドン・マッカーシーは言った。「今日の勝利は、全部彼のヒットによるものだよ」

タイガースのベロウ、彼のメジャーリーグデビュー戦は、5回と少しを3失点(1本塁打)だった。

「彼は、良かった」タイガースの、ジム・レイランド監督は言った。「一つポイントは、暑さが彼を苦しめたね。彼にはまだ次がある」

仲間の新人レスター・オリバロズが、そのイニングを終了させ、 その後デトロイトは6回に3点を奪い試合をリードした。

マグリオ・オルドネズとミゲル・カブレラが、マッカーシーからヒットを打ち、ビクター・マルティネスが、交代したリリーバーのジョーイ・デヴァインから2点二塁打を放った。

マッカーシーは、暑さと湿度に苦しんだと言った。試合中のグランドの温度は、37.2度を記録した。彼は5回と少しを、被安打6、4失点だった。

「今までに経験したことがない感じ」彼は言った。「投げるときに思い毛布を背負わされているような。最後までそんな感じだった」

タイガースのリリーバー、デビッド・パーシーは、7回に先頭打者から3人連続で四球を与え、ホワキン・ベノワにマウンドを譲った。 

クリフ・ペニントンのシングルヒットで4-5となり、ジョシュ・ウイリンガムの犠牲フライで同点とした。マツイとコナー・ジャクソンがヒットで続きオークランドは7-5とリードをした。

「私たちには、ホームランや長打が少ない。だからどうやって、チームを引っ張るかだね」メルビンは言った。
「シングルヒットや四球を選ぶことで、相手チームにプレッシャーを与える」

マツイは、3回にもタイムリーを放っていて2点のリードを奪っていたが、すぐその裏にドン・ケリーの三塁打などで同点となっていた。

オークランドの6人目のピッチャー、アンドリュー・ベイリーがランナー2塁でカブレラを三振にとり、試合を終わらせた。彼は12のセーブ機会で9セーブ目だった。

ノート
・タイガースは、カンザスシティ・ロイヤルズから2人のマイナーリーガーと交換で三塁手のウイルソン・ベテミットを獲得した。彼は木曜日のミネソタ・ツインズ戦で合流予定だ。現在のレギュラー3塁手ブランドン・インジと入れ替わる。11年タイガースにいたインジは、今日の試合後DFAになった。彼はチームにもしウエーバーを通過すれば、3Aトレドに行っても構わないと話した。
・マツイは、日本で行われたメジャーの試合でホームランを打っていて、それを含めれば日本で333本になる。160本がアメリカで、7本がカナダで打ったホームランだ。
・スコット・サイズモアは、今シーズンの初めにパーシーとのトレードでデトロイトからオークランドに来た。彼は、火曜日の試合でリック・ポルセロから顎に死球を受けたが、9回に守備で出場した。

元記事:
Matsui hits 500th pro homer as A's top Tigers 8-5 The Associated Press 
Originally published Wednesday, July 20, 2011 at 7:29 PM The Seattle Times 
http://seattletimes.nwsource.com/html/sports/2015676128_apbbaathleticstigers.html?syndication=rss

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