カテゴリ: ヤンキース

アンディ・ペティットが、興奮状態にある自信の心臓の鼓動を感じた瞬間は、夜明け直後の人気のない球場のブルペンマウンドに立った時で、朝露で湿った彼のスパイクは、もう一度赤土で固められたマウンドに突き刺さった。

もう一度ピンストライプを着ることが、ペティットの望みである。なのでポストシーズンの試合で最も勝っている投手は今週、静まり返ったジョージ・M・スタインブレナー球場の金網フェンスの中に入り、選ばれた立会人の前で密かに彼の能力を披露した。

それはトライアウトと言っても良いかも知れない。しかしペティットの長い経歴は、彼が必要な一人であると強く示唆している。ヤンキースは合意した。そしてヤンキー・スタジアムで引退発表してから406日後の金曜日、チームは39才の左腕と保証の付かない2.5百万ドルのマイナーリーグ契約を結んだ。

Pettitte returns to Yanks 

「僕にとって、それは簡単な決断で怖くはない」ペティットは言った。「僕は失敗するとは思っていないし、カムバックを恐れていない。僕はその心配をしていない。正しいことをしているという気持ちを持って、それを信じていく。それが素晴らしいことになるように望んでいるし、祈っている」

ブライアン・キャッシュマンGM、ジョー・ジラルディ監督、ラリー・ロスチャイルド投手コーチ、ジェーン・マイケルGM特別補佐が立ち会ったペティットのオーディションは、彼がこの春に臨時コーチとしてキャンプを訪れたことと同じくらい自然なことだった。

ペティットはコーチの部屋から出て、代わりに聖域である選手のクラブハウスへ入った。彼の46番は再びロッカーに吊るされていた。しかしC.C.サバシアやマリアノ・リベラと並んでランニングをする代わりに、ペティットはロン・ギドリーやグース・ゴセージの様な人格を備えた父親でいることの困難さについて話している自分を見つけた。

ペティットは2010年のシーズンが終わった後、引退を決意したことに満足していた。その理由は、常に恐れられ、時に裏切った左腕の肘ではなく、気持ちの問題だった。しかしペティットはポーカーフェイスを崩さなかった。そしてチームメイトによれば、それは素晴らしい仕事と言えるものではなかった。

「私たちは、それについて話した」サバシアは言った。「僕は彼が考えていたことを、何となく解っていた。彼がどうするのかを僕は本当に知らなかったけど、彼がカムバックするという決断は僕にはとても嬉しい」

テキサスで、息子たちの終わりのない打撃練習の相手をして、汗をかくことで腕の状態を保ったペティットは、遡ること12月頃からヤンキースと秘密の対話を繰り返していた。

キャッシュマンは金曜日、チームがマイケル・ピネダとヒロキ・クロダを獲得する前にペティットに10百万ドルから12百万ドルの範囲での契約を申し入れたが、ペティットと合意できずにチームが他の選手を探りにいったのを認めた。

「本当に正直に言って、その時、私は両方ともそうなるとは思わなかった」キャッシュマンはクロダとピネダの獲得について言った。「だけど私は、彼は可能だと思っていた」

ペティットはトレーニングを休むこともあったが、再び静かに始めたことのスリルをとても楽しんでいた。臨時コーチとしてキャンプに来ていた最後の日、ペティットはジラルディのオフィスにキャッシュマンを引っ張った。背後のドアを閉め、もう一度投げてみたいと話した。

教会を訪問するためにペティットが訪れていたフロリダのレイク・ブエナ・ビスタで、彼らは3月10日に再度それについて話をしたが、金曜日の朝になるまで合意には至らなかった。

「これはすべて、もう一度やりたいという僕のわがままなんだ」ペティットは言った。彼は他のチームではプレーしたくなかった。「何のために僕が戻ってプレーするのかというと、恐ろしいほどの巨額なお金のこともあるけど、私たちが1月から話してきたのは、そんな事ではない。僕はもう一度投げたいんだ」

筆頭オーナーのハル・スタインブレナーは、ペティットに対応するための予算の増額を承認した。そしてもし左腕が11勝3敗、防御率3.28でアメリカンリーグのオールスターに選ばれた2010年の成績に近づいたら、ヤンキースはバーゲン価格だと感じるだろう。

「アンディ・ペティットだよ」キャッシュマンは言った。「その潜在能力に、どうやってノーと言うのか?我々が持っているものには関係なくね。彼の武器は今でも使えるか、使えるようになるだろう。見てみよう。なぜダメなんだ?」

ペティットがメジャーリーグの試合で投げるには7週間必要だろうとキャッシュマンは言った。

「本当に言うのが難しいけど」キャッシュマンは言った。「彼は2010年の10月以来試合で投げていない。我々は近道や急ぐことをせずに彼をそのポジションにつけることで、正しいことをしていると確認するだろう。彼が健康なだけとか、健康だけど効果的でない状態でそのポジションに置くことは、時間の無駄になる」

ヤンキースで1996年、'98-2000年そして'09年と5回ワールドシリーズ制覇したペティットが引退を発表したのは、2011年2月4日のヤンキー・スタジアムでの記者会見だった。彼はその日、もし彼が戻ってくることがあれば、恥ずかしさを感じるだろうと言った。そしてペティットは、金曜日にそれは本当であると認めた。

「僕はカムバックを恥ずかしいと思っていた。だけどその後、僕は”何をすれば良いの?”みたいになった」ペティットは言った。「物事は、変わる。僕がやりたいことも変わった。そして僕は10年前を振り返って”僕はあれがやりたかったんだ”なんて言いたくない」

ペティットの加入はローテーションの様相を複雑にする。サバシア、クロダ、イバン・ノバ、そしてピネダの4人の背後でフィル・ヒューズとフレディ・ガルシアがローテーションの最後のスポットを争っている。

「私が知っている一つのことは、先発投手が充分にいるなんてありえないことだ。だってシーズンは長いんだから」ジラルディは言った。「それが我々の仕事を少し難しくするか?もちろん、そうだ。だけど我々が、7人全てを必要とするかもなんて、決してわからない。誰が解る?」

彼が連絡をもらった最初の一人が、最近引退したヤンキースのキャッチャー、ホルヘ・ポサダだと言った。彼は祝福のテキストメッセージを金曜日に送ってきた。ペティットは復帰のことを話した時のニック・スイッシャーの興奮した叫び声の話を、携帯電話でキャプテンのデレク・ジータに笑いながら話した。

「僕のカムバックを、チームのみんなは歓迎してくれたよ」ペティットは言った。

ペティットは16年のメジャーリーグシーズンの内、13シーズンをヤンキース、2004年から2006年はアストロズで過ごし、ポストシーズンでの先発(42)、勝利(19)、投球イニング(263)は歴代でトップだ。

彼の203勝は、殿堂入りしているフォード(236勝)とレッド・ラフィング(231勝)に継いでヤンキースの球団史上3位で、1,823奪三振はフォードの1,956に継いで2位である。

これらの数字は、ペティットが13ヶ月前に引退したことで、止まったように見えたが、今ペティットはタンクの中のエネルギーがより多くなったことを証明することに挑むだろう。

「以前にいた場所に戻ることができるって、僕は本当に信じている」ペティットは言った。「もし僕の考えが正しければ、僕は勝てると信じている。僕はそれを信じている」

参考記事:Pettitte comes out of retirement, joins Yanks By Bryan Hoch / MLB.com | 03/16/12 6:55 PM ET
http://newyork.yankees.mlb.com/news/article.jsp?ymd=20120316&content_id=27328302&vkey=news_nyy&c_id=nyy

ヤンキースは、1年以上前からヒロキ・クロダをローテションに加えたかった。そしてピンストライプを着た右腕の最初の回は、なぜ彼らが彼を切望したのかを確かに見せたものだった。 

水曜日にジョージ・M・スタインブレナー・フィールドで行われたレイズ戦に先発したクロダは、三振を含む僅か9球で最初の回を終わらせた。しかし2回の3失点が、レイズに4-0で敗戦したグレープフルーツリーグの試合で、クロダに負けをつけた。

「今日の一番の目的は、実戦の感じを掴むこと。それは出来たと思うから、良かった」クロダは通訳を通していった。 
無題
37才のクロダは、全ての球種はまだ調整中だと言ったが、ヤンキースのジョー・ジラルディ監督は、クロダのスプリッターとファストボールは特別だったと言った。

「彼は失点したけど、それは関係ない」ジラルディは言った。「私は、彼の今の状態を喜んでいる。彼から今日見たものすべてについて、喜んでいる」

レギュラーシーズンに向けて投球を磨きスタミナをつけること以上のことを、ジラルディがはっきりと保証した先発二番手の投手として、クロダはこの春のやらなければならないリストの中に持たないかも知れない。

クロダはイバン・ノバ、マイケル・ピネダ、それに5番目を争っているフィル・ヒューズとフレディ・ガルシアの勝者と共に、エースで開幕投手のC.Cサバシアの後ろに控えるだろう。

しかし新しいチームで良い第一印象を与えたクロダは、どんなにはっきりとした約束でも、この春の彼がのんびりやっていくということにはならないと言った。

「日本にいた時、そしてドジャースに来た時もローテーション入りの心配なしでスプリングトレーニングやシーズンを過ごしたことは無い。」クロダは言った。「もし(ジラルディから)そう言われても、僕はそれが保証されているとは思わない。僕はいつも競争しているし、いつも自分の場所のために争っている」

ジラルディはクロダの姿勢を気に入っていて、それはかつてのヤンキースの外野手ヒデキ・マツイが見せていたプロ意識に似ていると言った。

「それは良いことだ」ジラルディは言った。「彼はチームのために、チームメイトの中での価値を高めようとしていると私は思っている。日本生まれの選手がここでプレーすることには、いくつものプレッシャーがあると私は思う。彼らは彼らの国を代表しているという責任感を感じていると思う。彼はいつも、それを意識ながらここにいる」

クロダは1回を綺麗に終わらせた後、2回にマット・ジョイスとジェフ・ケッピンジャーにシングルヒットを打たれ、その後キャッチャーのプロスペクト、スティーブン・フォークトに2点三塁打をライト線に打たれた。そしてクロダはキャッチャーの指示に従わなかったことを後悔した。

「ラッセル(・マーチン)は他の球を聞いてきたけど、僕は逃げていくスライダーを投げたかった。そして僕は良い場所に投げられなかった」クロダは言った。

ホセ・モリーナの内野ゴロの間にタンパベイは3点目を取った。そしてクロダは、それ以上のダメージを受けなかった。全部で27球を投げ、スプリッターでエリオット・ジョンソンから三振も奪った。

ジラルディは昨年、パワフルなローテーションの中で違う見え方がするガルシアの頭脳派の投球をしばしば楽しんだと言った。そしてクロダの加入はシリーズを戦う相手チームにバランス感を狂わせる事ができる。

「彼のスプリッターは他の選手のとは違うと思う」ジラルディは言った。「彼はおそらくカッターも混ぜる。彼はファストボールのコントロールも良いけど、私は彼のスプリッターが本当に気に入っている。今日二つの三振を見たけど、両方とも良いスプリッターだった。違う見え方がするんだ」

ヤンキースは昨年32先発で3.07だったクロダの防御率が、アメリカンリーグ東地区の強打チームとヤンキー・スタジアムに適応することで、良くなるだろうと予想している。しかしクロダは新しいチームメイトに印象を残すことを今シーズン見ていると言った。

「彼らはシーズンを通しての僕を見たことがない。そして僕がどんな種類の投手なのかも知らない」クロダは言った。「僕はみんなに何かを証明する必要がある」

参考記事:Kuroda makes good first impression with Yanks By Bryan Hoch / MLB.com | 03/07/12 6:47 PM EST
http://mlb.mlb.com/news/article.jsp?ymd=20120307&content_id=27082122&vkey=news_mlb&c_id=mlb&partnerId=rss_mlb

  
5年間いた日本で、初めてヒロキ・クロダの投球を見たトレイ・ヒルマンは、もう二度と対戦したくないと思った。

ヒルマンは、日本ハムファイターズで監督をしていた。そして広島カープで投げていたクロダと、札幌ドームで対戦した。クロダは、接戦を自分のペースで戦い抜いた。ファイターズは2-1で勝ったが、それはポテンヒットとエラーによるものだったことを、ヒルマンは覚えている。9イニングを通してクロダはイラつくことはなく、どの投球でも1ミリでも誤差が出ることがないように絶えず調整をしていた。

翌日のバッティング練習の時、ヒルマンは通訳を通し対戦相手の監督にクロダに会えないかと尋ねた。

「彼の投球に、どれだけ感銘を受けたかを伝えたかった」ヒルマンは言った。「彼と戦ったその試合は、信じられないくらいハードだった。本当に信じられなかった。私たちが勝ったのが本当に信じられなくって、そして彼に会いたいと思った。私がそんな事をした、唯一のピッチャーだよ」

8年後、二人は再会した。昨シーズン、クロダはロスアンジェルス・ドジャースで投げ、ヒルマンはそこでドン・マッティングリーのベンチコーチをした。 関係は少し変わっていた。

「彼は、初めて日本で会った時と同じだった」ヒルマンは言った。「彼は今でも打者に向かっていくし、今でも素晴らしい能力を持っている。彼は今でもやってくれる。私はクロダの大ファンだ」

ヤンキースは昨冬もクロダの獲得に動いたが、成功しなかった。その後、7月後半、ヤンキースとレッドソックスはプレーオフで信頼できるベテランをローテーションに加えようとした。しかしクロダはトレード拒否条項を行使して、シーズンの残りをドジャースで過ごすことを決断した。

しかしヤンキースの継続性は、先月フリーエージェントのクロダと1年10百万ドルの契約を結んだことで報われた。彼らはついに長い間切望していた、意思が強く4種類の投球レパートリーをもつ投手を獲得した。

「過去2回の経験が、最終的に彼の獲得に役に立ったと思う」ヤンキースのブライアン・キャッシュマンGMは言った。「だって私たちが彼をどんなに望んでいたのかを、彼は解ってくれたから」

契約の数週間前、キャッシュマンは他の日本人投手、ユウ・ダルビッシュについて、他の国から来る選手が米国で成功できるのかという、いつも湧き上がる疑問について否定的な意見を強調していた。

ヤンキースは一人の日本人スター、ヒデキ・マツイで素晴らしい成功を収めている。しかし彼らの日本人投手の歴史は、一つも上手くいっていない。気まぐれなヒデキ・イラブは1997年から1999年にヤンキースで投げ、29勝20敗、防御率4.80、ポストシーズンでもリリーフで1回投げた。彼にされていた過大な前評判は、最終的にメジャーリーグでの彼の能力とは遥かに不釣り合いだった。

もっとひどいのは、ヤンキースが46百万ドルを費やし2007年に契約したケイ・イガワだ。彼は2シーズンでたったの13回しか先発せず、後の3年はマイナーリーグに追放された。キャッシュマンの長いGM人生でもっとも高額なミステイクだ。

しかし4年間メジャーリーグで過ごしたクロダにも、彼を取り巻くミステリーが少しだけあるように思われる。ドジャーズ時代のクロダは、ここに適応する能力を証明した。彼は慢性的な得点力不足に悩まされながら41勝46敗、防御率3.45を記録している。昨年は特にそうだった。7月に5回先発して防御率2.12なのに、記録は0勝4敗だった。

「彼は、ナショナルリーグで対応する能力を見せた」キャッシュマンは言った。「今度彼はアメリカンリーグに対応する姿を見せなければならない。我々は、そうしてくれるだろうと思っている」

昨シーズンのある時期、クロダは睡眠障害に悩まされて、その診断のために二晩病院で過ごした。彼はそのことをチームメイトに決して漏らさず、そして誰にも知られること無く、試合後に検査と観察のために病院に行き、翌朝球場に戻ってきた。その問題は、最終的に解決した。

ヒルマンは、クロダが何か難しい状態に陥っていると感じていたが、それ以上のことは判らなかったと言った。

「それが彼なんだ」ヒルマンは言った。「彼は私たちのために現れて、そして投げる」

アレックス・オチョア、かつての外野手で現在はレッドソックスの1塁コーチを務める彼は、クロダには米国で投げる技術と精神力があるといつも思っていたと言った。

オチョアは中日ドラゴンズにいた4年間、クロダと対戦していて、2007年にはカープで一緒にプレーした。クロダは他の日本人投手のようにドラフトで上位指名された高校野球のスーパースターではない。しかし彼はカープのローテーションを守り続け、そしてメジャーリーグにおける将来の成功を暗示する投球理論を持っていた。

「彼はアメリカ人みたいな投球をしていた」オチョアは言った。「彼はファストボールで向かっていって、そしてアウトを取るために変化球やスプリッターでを使っていた。それに彼は、いつも戦っていた。ある試合で彼は最初のイニングにスリーランを打たれて、彼は降板するんじゃないかって僕は思った。だけど8回になっても彼は投げていて、与えたのはその3点だけだった」

その競争力は、昨年レッドソックスなどの他のチームを助けることができただろう。なのでクロダのトレード拒否条項を行使すると言う決断は、不可解だった。プレーオフに進出するチャンスが殆ど無いチームに残り、ポストシーズンで投げる潜在的なチャンスを断ったのだ。

「ここに残った大きな理由は、シーズンが始まったときと同じ彼らとプレーするのが本当に重要だからだ」彼はドジャースのウェブサイトで言った。「僕は彼らと一緒にシーズンを終えたい。勝てないのは僕にはしんどいけど、チームメイトと一緒にプレーすることがより大事なんだ」

しかし彼の契約が終わった時、ドジャースは彼との再契約に少しの興味しか示さなかった。クロダは他でプレーする決断をした。

かつてのドジャーズ監督、トミー・ラソーダは ロスアンジェルスの日本人投手の先駆者、ヒデオ・ノモの成功に尽力した。クロダはノモの遺産の立派な後継者だとラソーダは言った。

「二人ともシャイで、義理堅い」ラソーダは言った。「ヒロキが私たちと一緒に居たかったのはそれが理由だと思う。彼は契約してくれたチームと彼のチームメイトに、義理を果たしたかった。しかし私が言いたいのは、ニューヨークの攻撃力があれば、彼はたくさん試合に勝つだろうということだ」

参考記事:A Japanese Pitcher Without the Mystery By DAVID WALDSTEIN  The New York Times
http://www.nytimes.com/2012/02/09/sports/baseball/yanks-think-they-know-what-they-are-getting-in-hiroki-kuroda.html  

 posadaretires.jpg 
マリナーズがスターになると期待している若いキャッチャーを、ニューヨーク・ヤンキースから獲得したのが正式になった1日後、ヤンキースの以前のキャッチャーが引退を表明した。ホルヘ・ポサダは輝かしいキャリアを過ごし、そのうち殿堂入りをするだろう。彼はデレク・ジータとマリアノ・リベラと共に、ワールドシリーズを5回制覇した3人のうちの一人だ。ポサダはそれら4つの不可欠な部分だ。それらの全てを考慮すれば、彼は今までで最も偉大なヤンキース選手として後世に残るだろう。ルース、ゲーリック、ディマジオそしてマントル程では無いにせよ、確かにその次に列せられる。

最後の時に、とても考えさせられる事がある。どうしてポサダは、1995年のシーズン後にマリナーになりかけたのか。

この物語の前後関係を説明すると、マリナーズが13.5ゲーム差をひっくり返して地区優勝しシアトルに衝撃を与えた。そして地区シリーズでヤンキースを破った。議会は遂に税金で新しいスタジアムを作ることを認めた。しかしマネジメント側はティノ・マルティネスを抱えておく余裕がなく、彼はトレードの対象になった。ウッディー・ウッドワードGMは、一塁手のドン・マッティングリーが引退して代わりを探していたヤンキースに狙いを定めた。その時のポサダは23才のキャッチャーで、’95年のシーズンを3Aコロンバス(とヤンキースで1試合)で過ごした。コロンバスで彼は、108試合に出場し打率.255、51打点、101三振を残していた。彼はスイッチヒッターだったが、モンテーロと同じように守備を疑問視されていた。ポサダは評判の良いプロスペクトだったが、それ以上でもそれ以下でもなかった。

1995年12月4日のシアトルタイムズに掲載された、マリナーズを長期間取材してきたボブ・フィニガンの記事によれば、マリナーズはマルティネスとリリーバーのジェフ・ネルソンとビル・リズリー、それかボビー・アヤラとヤンキースのスターリング・ヒッチコックとポサダのトレードを断った。マリナーズにポサダを送るトレードを断ったという記事は、ニューヨーク・タイムズとニューヨーク・デイリーニューズにも載った。

なぜマリナーズはこのトレードを諦めたのか?なぜならヤンキースが、マリナーズのメインターゲットだったマイナーリーグの3塁手ラス・デイビスを引っ込めたからだった。マリナーズは、’95年のレギュラー3塁手で96打点を叩き出していたマイク・ブロワーズを他のコスト削減策としてトレードでドジャースに放出していたのだ。 

ウッドワードは、ポサダが入っていたそのヤンキースのオファーが気に入らなかった。

ウッドワードの言葉だ。「今現在、そのトレードは無くなった。ヤンキースは違うアプローチで、他の道を進むことを決断した。私は提案された取引が気に入らなかった。私は彼らに、これは私からのオファーでもし我々の要求が通らないのなら、この取引は無しだと言った」

「私の一番の目標は、総予算を下げて来年のために競争力をつけることだ。この提案をヤンキースが受けていたら、これらの目標の一つを達成していただろう」

3日後、この2チームは最終的にトレードに合意した。その間にヤンキースは、ウェイド・ボッグスと契約していたので、デービスが放出可能になった。再構築されたトレードは、マルティネス(トレードに先駆けて、ニューヨークと5年20百万ドルの契約の交渉をしていた)、ジェフ・ネルソンそしてマイナーリーグ投手のジム・メシャーと交換でマリナーズにデービスとヒッチコックが来た。

ポサダはいなかった。

そのトレードは知っての通り、ヤンキースの途方も無い成功だった。マルティネスはヤンキース黄金期の礎となり、ネルソンは初めはジョン・ウエットランド、その後マリアノ・リベラに繋ぐ貴重なセットアップマンになった。そしてポサダは、ヤンキースの柱になり5回もオールスターに選ばれた。彼が充分にキャッチャーとして通用したことが判る。ティノとネルソンは4つ、ポサダは5つのチャンピオンリングを獲得した。

ヒッチコックとデービスは、マリナーズで充分な活躍が出来なかった。ヒッチコックは1996年に13勝(しかし防御率は5を超えた)したが、シーズン後にパドレスのスコット・サンダースとトレードされた。彼もすぐに放出された。デービスは、1997年から’99年で20,20,21本塁打を打ったが、打率が悪く守備にも苦しんだ。マリナーズは1999年のシーズン後、彼をノンテンダーにした。彼はジャイアンツで平凡な2シーズンを過ごし、2001年に自由契約となり引退した。31才だった。

その時代のマリナーズはダン・ウィルソンがキャッチャーを務めたが、もし若いポサダがニューヨークでなくシアトルでキャリアを築いていたなら、マリナーズとヤンキースの運命がどれほど変わっていたかを考えざるを得ない。

参考記事:Remembering how close Jorge Posada came to being a Mariner in 1995 Posted by Larry Stone The Hot Stone League The Seattle Times
http://seattletimes.nwsource.com/html/thehotstoneleague/2017329775_remembering_how_close_jorge_po.html 

それはリスクを取る価値のある契約だ。ヤンキースのブライアン・キャッシュマンGMは、月曜日にキャッチャーのプロスペクト、ヘスス・モンテーロを絶賛した。彼は投手のマイケル・ピネダを含む4選手のマリナーズとのトレードに正式に加わった。

「私は長い間これをしているけど、彼は私がトレードした中で最高の選手かも知れない」キャッシュマンはモンテーロについて言った。「彼は良い選手だ」

ヤンキースは月曜日、モンテーロと右腕のヘクター・ノイシとの交換で右腕のピネダとホセ・カンポスを正式に獲得した。球界でもトップクラスの打撃プロスペクトで、必要だったローテーションの強化をした。

Yanks land Pineda, sign Kuroda

ピネダは23才、昨シーズンはシアトルの新人として9勝10敗、防御率3.74を記録し、アメリカンリーグの新人の先頭を行く奪三振数(173)、奪三振率(9.11)でアメリカンリーグ新人賞争いで5位に入った。

豪速球を投げる6フィート7インチの右腕は、2011年の前半戦を席巻した。4月は4勝1敗、防御率2.01でアメリカンリーグ月間最優秀新人に選ばれた。そしてオールスターチームにも選ばれた。彼の三振四球比(3.15)と奪三振率はアメリカンリーグの歴代新人で2番目の成績だ。

「私は素晴らしい気分で、とても興奮している」ピネダはヤンキースがリリースした声明の中で言った。「私はキャリアのこんなに早い時期にニューヨーク・ヤンキースに加わるなんて考えたことが無かった。これは世界でも最高のことだ。C.C.サバシアの隣で投げるなんて、なんて言えば良いかわからない。そしてアレックス・ロドリゲスやデレク・ジータと一緒にプレーするなんて、信じられない」

両チームは10日前に合意していたが、ヤンキースとマリナーズはすべての選手の健康診断が終わるまで正式発表出来なかった。今正式になって、このトレードはローテションで左腕のサバシアに続くエースになる可能性を持った選手を獲得し、投手陣を充実させた。

エライアススポーツによれば、ヤンキースが他のチームでプレーしていた23才以下の選手を獲得したのはマイク・モーガンが最後だ。それは1982年で、モーガンがボンバーズでデビューしたのは22才と187日の時だった。

キャッシュマンはそれを”ニーズとニーズ”のトレードだと言った。自身の豊富なキャッチャー陣とシアトルの過剰な投手陣を見比べたのだ。
 
「星と月が並んでいるように、我々のチームはキャッチャー陣が豊富で、そしてトップクラスの攻撃力を持っているのは明らかだ」キャッシュマンは言った。「マリナーズは、本当にトップクラスの投手陣を持っている。彼らは、その投手陣を育てるという素晴らしい仕事をした。なので彼らがもしそれを選ぶのなら、トレードで強化をできる位置にいた。我々にとってもそうで、私たちは一致することができた」

契約の根回しはウインターミーティングでなされた。マリナーズのジャック・ズレンシックGMはキャッシュマンに、もしモンテーロをトレードするならば、フェリックス・ヘルナンデス以外で誰なら考えてくれるかと尋ねた。二人の話し合いはその週の間続けられ、取引が最終的に合意に至る時は4人の選手になっていた。

ヤンキースにとってそれは、昨シーズンメジャーリーグデビューした24才のヘクター・ノイシを含むことを意味していた。ヤンキースでノイシは、28回のリリーフ登板で2勝1敗、防御率4.01、2回の先発で0勝1敗、防御率9.64だった。彼はまたマイナーリーグで97登板(74先発)で30勝18敗、防御率2.98、401奪三振だった。

ヤンキースに来るのは19才のカンポス、マリナーズのマイナーリーグでの3シーズンで14勝10敗防御率3.26を記録している。カンポスは2011年のシーズンを1Aエバレットで過ごし5勝5敗、防御率2.32、期間最高の85奪三振で、そのシーズンで与えた四球は13だった(与四球率1.44)。彼はノースウエストリーグの先頭を行く防御率と奪三振で、被打率は2位(.214)だ。

この右腕は、ノースウエストリーグオールスターチームにも選ばれ、ベースボールアメリカのアメリカンリーグ右投手プロスペクトランキングで1位(全体で3位)に選ばれいる。

しかしこのトレードの中心は、ピネダと22才のモンテーロだ。彼はヤンキースのトップ指名打者でシーズンを迎えると見られていた。モンテーロは、昨年9月のメジャーリーグデビュー以来18試合で打率.328、4本の二塁打、12打点、7四球を記録した。キャッチャーのプロスペクトと見られていたモンテーロは、メジャーリーグのそのポジションでのプレーに対する彼の能力への疑問に最近答え始めていた。

「私たちがモンテーロの守備能力を信じていないわけでは無い」キャッシュマンはトレードについて言った。「私たちは、彼がメジャーリーグでレギュラーのキャッチャーになれると思っていた。それは必要なエリアを強化し続けるために本当に必要な取引だった」

キャッシュマンは、2009年に彼自身が行ったタイガースとダイヤモンドバックスを巻き込んだ7人のトレードと比べた。ヤンキースはカーティス・グランダーソンを得たが、イアン・ケネディ、オースティン・ジャクソン、フィル・コークを手放した。振り返ってみれば、この3チームの全てはこの取引から利益を得て2011年にプレーオフに進出した。キャッシュマンは、今回の事で両チームが利益を得ると信じている。

「私たちはモンテーロに多くのものを与えた」キャッシュマンは言った。「しかし私たちは、同時にピネダから多くのものを得られることを期待している」

ピネダを獲得し、正式発表はされていないがフリーエージェントのヒロキ・クロダと契約した。ヤンキースは今、ローテーションに収まりきらない程の先発投手を持つという嬉しい問題を持っている。キャッシュマンはモンテーロに変わるDHのために、より劣る投手をトレードする可能性が僅かながら残っていると曖昧に話した。

「我々には、強打者が明らかに何人もいる」キャッシュマンは言った。「君たちが充分だと思っていたら、野球の神様は君たちを非難すると思う。充分な投手陣がいるなんてことは、決して起こらない。我々には今、たくさんの先発投手がいる。それは良いことだ」

現状ではピネダとクロダがサバシアとイバン・ノバに加わってローテション入りし、フィル・ヒューズとA.J.バーネット、そしてフレディ・ガルシアが残りの一枠を争うだろう。

「どうなるかなんて本当に予測がつかない」キャッシュマンは言った。「我々の投手層が厚くなって、それが良いことであるということは、解っている」

参考記事:Yanks pay hefty price to acquire Pineda By Anthony DiComo / MLB.com | 01/23/12 6:45 PM EST
http://newyork.yankees.mlb.com/news/article.jsp?ymd=20120123&content_id=26441486&vkey=news_nyy&c_id=nyy

まだ正式ではないが、ヤンキースとマリナーズは先週、昔ながらのトレードのお手本を敢行した。ニューヨークは、若い打者の代わりに若い投手を望み、有望な右腕のマイケル・ピネダをローテションに加えることにした。

ヤンキース球団の誰もが、強打の若いプロスペクト、ヘスス・モンテーロが打つことを疑わなかった。実際に彼らは、彼がシアトルのユニフォームを着て、打線の中核に入ることを予想しており、彼らに牙を剥かないように祈ることになるだろう。 
今その波紋の一部が押し寄せている。ヤンキースは、ピネダと1Aの投手、ホセ・カンポスと交換でヘクター・ノイシと共にトレードになった2012年の指名打者の代わりを、探さなくてはならない。

Matsui's RBI single 

ヤンキースは、マイナーリーグの強打者ホルヘ・バスケスとベテランのアンドリュー・ジョーンズの内部起用を考えているが、二人のベテランの選択肢もフリーエージェントマーケットに残っている。ヤンキースは、ジョニー・デーモンとカルロス・ペーニャの代理人とコンタクトを取っている。

「私が思うに(DHは)足りている。しかしまた、誰かで補完するチャンスでもある」ヤンキースの事情通は言った。

38才のデーモンは、2006年から2009年までピンストライプを着ていたが、ヤンキースはそのワールドシリーズを制覇した年の後、彼を望まなかった。外野手のカーチス・グランダーソンとニック・スイッシャー、そしてブレッド・ガードナーを獲得したからだ。

左打者のデーモンは、レイズに戻ることを希望している。昨シーズンの彼はそこで打率.261、16本塁打、73打点だった。しかしフロリダ生まれの彼は、タンパベイがかつてオリオールズにいたルーク・スコットと契約を結んだことに気を悪くしている。

33才のペーニャは、昨年の8月にウェーバーにかかったとき、ヤンキースがクレームした。しかしヤンキースとカブスはトレードを成立させることができなかった。

昨シーズン153試合に出場し打率.225、28本塁打、80打点だった彼は、過去5年にカブスとレイズでシーズン当たり平均34本塁打を打っており、彼のパワーがあればヤンキースタジアムのライトフィールドにホームランを打ち込めるだろう。

ペーニャは日曜日にMLBネットワークのラジオで、ヤンキースから接触があったと言った。しかし彼は、ファーストでの守備を含む、他の選択肢を模索している。

デーモンと共に、ヤンキースが他の2009年のワールドシリーズ優勝メンバーもチェックしていることに驚きは無い。彼らは、37才のヒデキ・マツイに帰ってきてもらうことも考えている。

マツイは昨年アスレチックスで141試合に出場し打率.251、12本塁打、72打点だったが、ヤンキースが彼の代理人とコンタクトを取っていると月曜日にCBSSportsが伝えた。

他には?40才のホルヘ・ポサーダ、引退を決断したと伝えられているが、まだ正式に発表されていない。彼もヤンキースタジアムで期待されている一人だ。

フリーエージェント右腕のヒロキ・クロダとの契約を認めたヤンキースの代表オーナー、ハル・スタインブレナーが、DHに気前よくお金を費やすことがありそうにない点に注目する必要がある。それはプリンス・フィルダーの様な選手で得点するという空想を押しつぶすものだ。

現在ヤンキースは、メキシコ人でニックネームが”チャト”の右打者、バスケスを起用するアイデアに興味を持っている。この春にそのチャンスがくるかもしれない。

29才のバスケスは昨年、グレープフルーツリーグで活躍した後、3Aスクラントン/ウィルクスバレで118試合に出場し打率.262、32本塁打、98打点を記録した。 一塁と三塁を守るバスケスの守備は疑わしいかもしれないが、彼のバットはそうでは無い。

「彼が打てないと証明されるまで、彼は打つことができる」ヤンキースの事情通は言った。「彼は争うチャンスが与えられると思う。アンドリューにもおそらくチャンスが与えられるだろうね。その役目を約束された人間はいないと思う」

ヤンキースのDHからモンテーロが消えたことで、ジョー・ジラルディ監督はアレックス・ロドリゲス、デレク・ジータ、そしてマーク・タシアラらのベテランにより多くの休憩を与えるチャンスができた。それはジラルディが望んでいると言っていたものだ。

「1日か2日、そのスポットに何人かの選手をつかせることで、ジョーには少し柔軟性が出てくる」彼は言った。「それはまた、周りをよく見渡して、いくつかのパターンを試すチャンスでもあるんだ」

参考記事:After big swap, Yanks may look to add a DH By Bryan Hoch / MLB.com | 01/16/12 7:31 PM EST 
http://mlb.mlb.com/news/article.jsp?ymd=20120116&content_id=26359336&vkey=news_mlb&c_id=mlb&partnerId=rss_mlb

 monty.jpg 
何人かは、ヘスス・モンテーロに疑問を持っている。もうすぐマリナーになる彼は、大きくたくさん打つのだろうか。今日モンテーロを調査している過程の中で、多くのスカウトやメジャーリーグのエグゼクティブ、コーチ、監督、解説者、記者、彼らは彼をこれらの選手たちと比較していた。

ミゲル・カブレラ
マニー・ラミレス
マイク・ピアザ
フランク・トーマス
ボー・ジャクソン
アレックス・ロドリゲス
アルバート・プホールズ
ロビンソン・カノ
エドガー・マルティネス
ジョー・マウアー
ブルース・ハーパー

見れば解るように、マリナーズが打線の中軸となる打者を獲得したということに、野球界は満場一致で賛成するだろう。22才、6フィート4インチ、235ポンドのモンテーロの可能性は図り知れない。そしてモンテーロは、逆サイドに打つことが出来る。彼が4試合目で放ったメジャーリーグで最初の2本のホームランは、両方共ヤンキースタジアムのライト側に打った。それは右打者には厳しいと悪名高いセーフコ・フィールドでも打てるとスカウトたちを納得させた。

しかし疑いの中に残る問題は、モンテーロは、メジャーリーグで通用するキャッチャーになれるのかだ。もし彼がそうなれるのなら、マイケル・ピネダとマイナーリーグの投手ホセ・カンポスとヤンキースのモンテーロと投手のヘクター・ノイシの金曜日のトレード(健康診断待ち)は、特大ホームランになるだろう。

特別な打撃の才能を持つキャッチャーのモンテーロは、メジャーリーグで誰もが欲しがる選手の一人だ。歴史を見てもこういった選手は多くない。そしてベンチ、ベラ、ピアザ、フィスク、カンパネラらは、みんなスーパースターだ。

しかしもしモンテーロの守備能力が、言われているように特別素晴らしいもので無くても、彼はファーストかDH(またはその両方)に移ってすぐに練習することで、彼のその特別な能力を発揮できる。強打のファーストとDHとしての彼の価値は (それを気を狂わんばかりに欲していたマリナーズにとっては特に) とても高いが、キャッチャーとして35ホームランと100打点を打つことは、それほど重要ではない。もし彼の打撃能力が評判通りなら、キャッチャーとしてのモンテーロも、素晴らしい才能を持った選手だ。もしそうでなくても、誰もが欲しがる貴重な強打者である彼の加入は大きい。

今日私は、二人のスカウトと話をした。彼らはマイナーでのモンテーロをかなり広範囲に見てきた。モンテーロはキャッチャー(彼は大きすぎる--彼の全ての動きはは遅く、スムーズな送球が出来ず、ボールのブロックにも問題がある。普段からそうだ)にはなれないだろうと言った。しかし他の一人はキャッチャーとして平均的な守備(その目線で見ると、私はメジャーリーグでもっと悪い守備を見てきた。そして彼についてひとつ言えるのが、彼は良くなるために熱心に練習している)が出来るようになると信じている。

そして私は尊敬する二人のアナリスト、ESPNのキース・ロウとベースボールアメリカのジョン・マニュエルとも話をした。彼らはそれぞれ違う意見を持っている。

ロウはきっぱりとモンテーロがキャッチャーを出来るとは思えないと言った。

「彼はキャッチャーではない」彼は言った。「そうは見えない。私は肩の強さ以外は、彼がキャッチャーとして通用するとは思わない。彼は送球に時間がかかり、プレーに支障が出る。もし試合をコントロールできないのなら、キャッチャーはできない。ピアザはキャリアの全てをキャッチャーとして過ごしたが、彼はモンテーロより守備が上手かった」

ロウはもしモンテーロがキャッチャーでなくても、彼の一番の支持者でモンテーロの攻撃ポテンシャルがとても高いと信じていることに注意が必要だ。

「この結論になるまで、長い時間がかかった。しかし彼はとても良い打者なので、それは本当の問題にはならない」ロウは言った。

一方のマニュエル、彼は16才のモンテーロがベネズエラから来て、ヤンキースと契約した時からマイナーリーグを登っていく彼を追っている。彼はモンテーロがメジャーリーグのキャッチャーになる可能性を諦めていない。マニュエルは、彼がピアザタイプのキャッチャー(最も一般的な比較だ)になる可能性があると見ている。モンテーロは昨年僅か1回のエラーしかしておらず、インターナショナルリーグのキャッチャーの先頭を行く成績であると指摘した。

「彼は守備機会の多くないショート選手のようなものだが、プレーした時はしっかりとこなしていた」彼は言った。「彼をキャッチャーとして起用しても、彼は自分の守備には困らないと私は思う。もし彼を120回そこに据えたら、彼の弱点が公になるかも知れない。しかし年に40回から60回程度も守備につかせない理由は、私には見つからない。この若者がマイク・ピアザのようなキャリアを送るチャンスが僅かながらある。ピアザは守備が下手だったが、それが問題にはならなかった。なぜならその時、最も打てるキャッチャーだったからだ。この若者にもそうなるチャンスはある」

マニュエルはロウと同じように確信している。「モンテーロは、本当に打てる。彼は打てないと言う人物に会ったことがない。彼はこれからの10年でマリナーズのベストヒッターになるチャンスがある」

これらが、なぜ私がもしモンテーロがキャッチャーとして役に立たなくても、マリナーズのこのトレードが気に入ったかの理由だ。それは莫大なボーナスになるだろう。しかしもし彼がこれらのスカウトが考えるくらいの打者になれば、どのポジションにいても攻撃力に飢えたマリナーズの大きな資産となる。

参考記事:The burning question with Jesus Montero: Is he a CINO (catcher in name only)? Posted by Larry Stone The Hot Stone League The Seattle Times
http://seattletimes.nwsource.com/html/thehotstoneleague/2017242333_the_burning_question_on_jesus.html 

↑このページのトップヘ