シーズンが始まって2か月、田中将大は、ア・リーグ・ルーキー・オブ・ザ・イヤー、サイ・ヤング賞、そしてオールスター先発の最有力候補である。

私たちは、それにMVPの議論も加えて良いのだろうか?
 
一般的に先発投手がこの賞を勝ち取るには、30試合以上の登板が、不可能と困難の間にあるボーダーラインだと私は考える。しかしもし田中が、自分の試合にしか影響を与えていないと信じるのなら、その人は2014年のヤンキースの試合を見ていない。

ヤンキースは、田中がいなければ、すでにほぼプレーオフのチャンスが消滅しており、そのことが彼を優秀な、そしておそらく「最も優秀な」選手にしている。

それは、田中(9勝2敗)が投げた時に、ヤンキースが勝利していることだけを言っているのではない。それは彼の非凡な働きぶりであり、その素晴らしい働きぶりで彼は、ジョー・ジラルディに終盤のブルペン、そしてヤンキースに勝利のチャンスがある時には、早めから積極的なブルペン投入という、このチームの強みを使うチャンスを与えている。

田中は、試合終盤まで投げることができるヤンキースの唯一の先発投手で、それは酷使されているリリーバー陣を休ませる、あるいは少しの登板で済ませることを意味する。田中が先発する前日、あるいは翌日のジラルディは、ブルペンを大胆に使うことに合理的な自信を持っており、それは田中が、その様な助けを必要としないからである。

このことを考えてみよう。チェイス・ウィットリーは、ヤンキースで4度の先発をしているが、そのすべては、田中の登板の後だ。ウィットリーが先発する前の田中の登板は、6回(今年の彼の最も短い投球で唯一の負け)、6回2/3、8回、そして9回である。結果としてジラルディは、ヤンキースがラインアップの3巡目をコントロールすることができるとは見ていないウィットリーを助けるために、翌日にたくさんのブルペン陣を持っていた。

ウィットリーは、最初の3先発で4回2/3、4回1/3、そして5回の投球ながら、ヤンキースはそれぞれで勝利した。日曜日に4度目の先発をしたウィットリーは、5回を投げて、そしてヤンキースは、9回にデビッド・ロバートソンが打ち込まれなければ、勝利していただろう。それぞれの勝利の鍵は、休んで元気なブルペンがいたことだった。

ヤンキースの先発陣は、メジャー24位の投球イニング数で、それには田中の平均7回1/3(彼より多いのは、シンシナティのジョニー・クエトの7回2/3だけ)が含まれている。ジラルディは、とにかくブルペンを酷使する必要があり、田中がいなければ、リリーフ陣は、すでに蒸発していたかもしれない。

そしてMVPを考える時、以下のことも必要だろうか? 成績を見て、それが伝統的な打率や打点、あるいはWARやWPAのような現代的なものであろうと、誰かがそれを投票の決め手にするだろうか? あるいはその成績が、選手が勝利にどれくらい貢献したのかの全体を見ようとするだろうか?

現代的な成績を強く信じている人たちは、数字に主観的な要素が加わることを排除していると言うだろう。結局のところ、どんな選手にとっても成績が意味するところは、無視できないのだ。例えばテキサスのダルビッシュ有は、壊滅的なローテーションの中で長いイニングを投げ、チームをサポートしていることで、ある意味、田中と酷似している。

私は、その議論を理解している。しかし私の反論は、両者の状況や、あるいは完全な評価をするより良い方法を見つけることで、数字的にはともかく、田中やダルビッシュの様なエースが、彼らが投げている時以上のことをしていると理解しなければならないことである。シーズンが始まった時の田中も価値があったが、その価値が上がり、そして本当に貴重になったのは、イバン・ノバ、マイケル・ピネダ、そしてCC・サバシアのケガである。

月曜日の試合前までのヤンキースは、先発が6回以上を投げたのが33回で、田中はそのうちの11回である。彼は、7回以上を投げたのが13先発のうちの7度で、サバシアは2度、そしてそれを1度しているヤンキースの投手は、他に1人だけである。そして、これはどうだろうか? 田中は、6回以降で38アウトを奪っているが、残りのローテーションは月曜日までで、あわせて26である。

田中は、自分の試合で勝利し、ブルペンを休ませることで、ヤンキースが他の試合で勝利するチャンスを与える。それでも最優秀ではないだろうか?

参考:NYPOST