この話の目的は、デレク・ジーターとイチロー・スズキは、いくつかの注目すべき運命のイタズラで出会ったのか、それとも彼らは、球界の有名人の1人として紹介されたのか、あるいは彼らの最初の会話には、2人が決して忘れることのない個人的な秘密の話といったもので満たされているのであれば、それは素晴らしいだろうというものである。
 
しかしジーターは、2人がいつ、そしてどこで会ったのかのを、はっきりとは覚えていない。そしてイチローが、それを断片的に覚えているのは、それが2001年のオールスター戦のことで、その時の彼は、ヤンキースの他のスーパースターに会っていたからだった。

イチローによれば、「バーニー・ウィリアムスとユニフォームを交換したんです。デレクとは、確かハローって言っただけでした」

「彼は、バーニーの大ファンだから」ジーターは、笑いながら言った。

それから13年後、ヤンキースのチームメイトになってほぼ2年が経った、この時代で最高の1,2番コンビの2人の関係について、際立った出来事というのは、まだ1つもない。

彼らは、ヤンキースタジアムに一緒に来るわけではない。彼らは遠征のたびに、一緒に夕食へ出かけるのでもない。彼らは、人生や野球について、いつも夢中になって話をしているわけでもない。

しかしそこには、明らかなつながりがある。それは、彼らがグラウンドでお互いを笑うこと、そしてクラブハウスで出されるコメントの中で分かる。39歳のジーターと40歳のイチローは、殿堂入りが確実なキャリアの終りが近づく中で、一緒にプレーすることを純粋に楽しんでいる。

「僕は英語を話さないから。そのことから分かることは、僕たちには信頼関係があると思っているけど、それは言葉によって創りだされたものではないということ」イチローは語った。「彼は、信頼できる人間だと思っているし、僕はそう信じている。言葉によるコミュニケーションがなくたって、それはもっと深いものだと思っている」

目に見える尊敬

ジーターは、数字に興味が無い。彼は、自身が記録に近づくことに無頓着なのは有名で、連続安打記録といったことについて話をすることを嫌っている。しかしジーターは、イチローが10年連続で200本安打を達成し、そのうちの1年では262安打を記録したことを、頭のなかからすぐに出すことができる。

ジーターがそれを覚えているのは、数字が簡単だからだ。

「1年間の試合数」ジーターは言った。「プラス100」

現役選手の中でキャリアにおけるシングルヒット数の1位と2位は、ジーターとイチローである。ジーターは、現役選手最多の安打数で、イチローはアレックス・ロドリゲスに次いで3位である。3,000打席以上の現役選手の中で、イチローの打率は4位で、ジーターは7位である。

2012年までジーターは、オールスターでリードオフを務めたことがなかった。その主な理由は、2006年〜2010年までは、イチローの後ろの2番を打っていたからだった。

ジーターとイチローの両者は、2012年の7月にイチローがトレードでヤンキースに来る前は、お互いのことを良く知らなかったと言う。彼らは、オールスターで話し、グラウンドでも少しだけ話したが、そこに本当の関係はなかった。

しかしジョー・ジラルディ監督は、彼らを同じ打撃練習のグループに入れ、そして彼は、ジーターが、バッティングケージの周りでイチローをからかい始めたことを覚えている。そして数日以内ではなくても、数週間以内にイチローは、チームメイトや記者陣の前でも、ジーターをミドルネームのサンダーソンで呼び始めた。

「私はそれを、1日目から見ていた」ジラルディは語った。「ジーターは、打撃練習の間にイチをいじって、彼と一緒に楽しくやることができる1人だったし、それはたぶん、シアトルにいた時のイチには、しばらくなかったことだったんだじゃないかな。それからイチは、彼にやり返すようになったんだけど、私はそれが、とても良いことだと思った。それでたぶん、他のチームから来たイチが、すぐに受け入れられたって感じたんじゃないかって思う。彼はある意味、本当の仲間の1人だった」

数百のチームメイトがやって来て、そして去っていく中で、本当に同じ時代を生きてきたジーターとイチローが、長年に渡って築いてきたような仲間が何人いるだろうか? 畏れや圧迫感を微塵も感じさせずに現れたチームメイトが、何人いるだろうか?

「地雷を踏みたくないよね」メジャーリーグ8年のベテランであるブレンダン・ライアンである。「その領域に踏み込んで、ものごとを難しくしたりとか、それに悩むとか、そんなことはしたいくないよ。だけど彼らは、愛さずにいられないんだ。彼らは、トーテムポールの一番下にいる人にも、他の人と同じように接するから。そのことっていうのは、僕たちチームメイトを気楽にしてくれる。シーズンオフになると僕たちは、選手について聞かれるんだ。(友人たちは)野球の話を聞きたがる。僕たちは、クラブハウスの彼らが、どれだけクールなのかを話すんだ」

遠くからの眺め

ジーターが、ニューヨークで初めてチャンピオンになった年、22歳だったイチローは、日本で打率.356を記録した。それから4年間でジーターは、あと3回優勝し、そしてイチローの打率が.343を下回ることはなかった。

イチローがマリナーズと契約して米国にやってきたのは2001年のことで、彼はボールをひっぱたいて走る珍しいスタイルと、隙間にボールを打つ能力で、すぐにアメリカン・リーグ、ルーキー・オブ・ザ・イヤーとア・リーグMVPに輝いた。

「みんなが注目していたと思うよ」ジーターは語った。「彼について、たくさんのことを聞いた。みんなが興味があって、そしてすぐに強烈な印象を受けた。最も優れていたのは、おそらく彼のスピードだったけど、彼は何でもできたから。彼がしたこと、そしてしていることを、正確に言うことなんて、誰にもできないよ」

それからの10年間、ジーターはニューヨークの野球の顔になり、そしてシアトルのイチローは、世界的なシンボルになった。彼らは、2012年の半ばまで文化と大陸によって分けられていたが、その時ブレッド・ガードナーに肘の手術が必要となったヤンキースには、新しいレフト選手が必要となり、そしてマリナーズは、再建が必要だった。

「僕は嬉しかったよ」イチローがブロンクスに来ることになったトレードについて、ジーターは語った。「イチは、簡単にヒットが打てるし、それが当たり前なんだ。彼がこの競技でやってきたことっていうのは、これまでに誰もしたことがないことだから。僕は、毎日の仕事を選手がどうやるのかを見るのが好きなんだけど、彼のことは遠くから見ていて、彼とプレーするのは年に2回しかなかったから、分かることっていうのは、本当に少なかった。彼と毎日プレーするチャンスができて、それまで以上に彼の良さが分かった」

増える賞賛

イチローの何を知ったのかと聞かれたジーターは、イチローの英語が、素晴らしく上達していることだと冗談を飛ばしたが、その表情は真剣にも見えた。その後にジーターは、イチローの有名なプロ意識について饒舌に語った。それは耳にはしていたが、身近に見たことがなかったものだった。

ジーターについて同じ質問を受けたイチローは、返事が訳されるまえに通訳を笑わせた。

「僕は、彼が結婚したくないんだと思ってたんだけど、春(引退表明の記者会見)に彼は、そのうち結婚したいって言っていたから、彼について知ったことはそれかな」

ライアンには、同じような冗談でキャプテンから笑いを取るチャンスがあるかもしれない。しかしライアンは、それに挑戦したいのだろうか? 彼はチームに加わって最初の週に、ジーターをミドルネームで呼ぶことができるだろうか?

「あり得ない」ライアンは言った。

いろいろなエピソード? 2人が決して忘れない個人的な秘密の話? もしジーターとイチローの関係が、この話の目的であるこれらのことで埋めつくされていれば、それは素晴らしいことだろうが、それは、彼らの友情の本質ではない。

それを意味深いものとしているのは、そして外部の人間から見ても特別なことにさせているのは、ちょっとした瞬間があちらこちらにあり、そしてほとんど忘れられていた10年以上前の初めての挨拶の時から、心地良い相互関係が保たれていたことである。

「選手と親しくなるために、グラウンドから離れたところで長い時間を過ごす必要は、必ずしもないと思うんだ」ジーターは語った。「僕は、常にイチを尊敬してきたし、今はもっと尊敬している。もし可能だったら、もっと彼と一緒にプレーがしたかったよね・・・。彼は楽しいことが好きだし、周りに冗談があるのが好きなんだ。そういう意味では、僕たちは似ている」

「時々」イチローは語った。「"おっ、この人は良いな。彼は良い人に違いない"って思っても、チームメイトになると、それほど素晴らしい人でないというのがあるんです。だけどジーターは、想像以上だった。チームメイトになって、僕が考えていた以上だって実感しました」

「僕が知ったことは、それですね」

参考:The Journal News