田中将大の前は、松坂大輔だった。

その前にも、日本人投手はいた。1995年に野茂英雄は、米国へ来る日本人投手の先駆者となった。しかし松坂のような投手は、1人もいなかった。51百万ドルのポスティング・フィーと52百万ドルの契約、話題となった「ジャイロボール」、彼の動きのすべてを取材するかなりの数のメディアなど、2007年のボストン・レッドソックスへの松坂の入団は、確かに国際的なイベントだった。

それから8年後の松坂は、メッツのブルペンで投げている。そして彼のことは、多くの場合に教訓だと考えられている。そのような大注目を集めた投手が、アメリカで大成功を収めることができていない。ボストンでの最初の2年間で33勝と成功した松坂は、2009年から2012年では、合計で17勝と尻すぼみとなった。しかし彼の苦労から学んだことは、これまでのところ、アメリカ野球で成功している田中を助ける鍵である。

田中のスカウト過程においてメッジャーリーグ球団は、 野球において松坂が移行に失敗したことを詳細に分析した。それは、体の大きさ、圧倒的な球速がないこと、プレートを外すことが多い彼の傾向、そして日本野球のルーチンへのこだわりなどである。そして田中の特徴を分析した彼らは、彼がどの角度から見ても成功するに違いないと確信した。それは必要な時に球速を上げることができる集中力、彼の決め球のスプリッター、攻撃的な心構え、そして彼の適応力である。ヤンキースは1月に、彼と7年15百万ドルの契約を結び、そして現在までの彼は、6勝0敗、防御率2.17と、彼らの信頼に応えている。

33歳の松坂は、25歳の田中が日本球界のトップに躍り出た時、すでに米国で投げていた。つまり松坂が、実際にその年下の投手を見たのは、水曜夜のシティ・フィールドが初めてだった。その時の田中は、メッツを完封した。

彼に細心の注意を払っていた松坂は、「彼の投球のレベルと、ここの試合に適応する能力にとても印象を受けた」と語った。

松坂によれば、田中の成功は、その才能とともに、適応することにどれだけ熱心に取り組んだかの結果だった。

「(彼の成功の要因は)投手としての天性の能力と、こちらに来る前の準備」と彼は言った。

ボストンにおける松坂の苦闘は、球団が日本人選手に対する評価を考えなおすきっかけとなった。しかし彼らはまた、落とし穴を避けるために、田中のような次に来る選手のためのロードマップを用意するようになった。例えば初めのうちの松坂は、アメリカの投球方法に抵抗したが、田中は違いを受け入れた。

「彼は、何が起こったのかを見てますから。良いことと悪いことの両方を。今は、情報がたくさんありますから、確かにその点ではやりやすいでしょうし、前よりもしっかりと準備ができると思います。それと同時に球団が、文化の違いを理解するようになったので、そのことも選手にとっては、よりやりやすくなっていると思います」

今週のヤンキースタジアムで田中と松坂は対面し、しばらくの間、話しをした。田中は、松坂に注目していたこと、そしてニューヨークの生活についてなど、雑談を交わした。彼らは、野球についての話をしなかったが、松坂は、彼ができなかったことを田中にして欲しいともらした。それは、圧倒的な状態を続けることである。

「もちろん、彼が成功するところを見たいです。試合の時間があるので、彼を見るチャンスはあまりありませんけど、彼が成功して、勝ち続けるところを見たいですね」

田中は、移行を上手くすることが、彼にとって重要なことだと言った。そして松坂の賞賛は、彼が挑戦していることを確かに言い表している。

「僕がしようとしていることは、ここの野球とここの文化に慣れることです」田中は言った。

田中の移行にとって、松坂の例はかけがえのないものだが、彼はまた、同じ経験を乗り越えてきた他の日本人選手、特に黒田博樹と松井秀喜からもアドバイスを受けた。しかし2人が会った時に松坂は、どんな言葉も与える必要がないと感じた。田中は、見ることと学ぶことによって、彼自身でとても上手くやっていることが明らかだからである。

「彼にアドバイスは、必要ないと思います」松坂は言った。「彼は、賢いですから」

参考:THE WALL STREET JOURNAL