今シーズンオフの話題の中心は、ヤンキースが7年155百万ドルで契約した日本人投手、田中将大だった。

そして日本メディアの大群は、過去20年間にメジャーリーグと契約した他の日本人選手と同様に、田中の一挙手一投足を日本に伝えている。



「50年前に、それはなかった」と語るのは、殿堂入り投手のゲイロード・ペリーである。

50年前の今月、メジャーリーグでプレーする初めての日本人選手が、アリゾナ州カーサ・グランデで行われていたジャイアンツのスプリング・トレーニングに到着した。「交換留学生」の形で来た彼ら3人は、1Aフレズノへ送られた。

その3人のうちの1人だった村上雅則は、1964年9月1日にジャイアンツでメジャーリーグ・デビューを飾り、メジャーリーグ史上最初の日本人投手となった。しかしドジャースの野茂英雄がメジャーリーグで2人目の日本人選手になるまでに、その後30年を必要とした。

村上がジャイアンツで活躍したのは、1年目の1964年(9登板で1セーブ、防御率1.80)だけでなく、翌年の'65年にも、4勝1敗、防御率3.75を記録した。

しかしメジャーリーグにおける村上の活躍は、田中や、メジャーリーグでプレーしてきた他の58人にも及ぶ日本人選手ほど話題にならなかった。

米国と日本の関係が成熟するには、時間が必要だったからである。

村上がメジャーリーグ・デビューを果たしたのは、第二次世界大戦で日本がアメリカに降伏した19年目の記念日の1日前のことで、太平洋を挟んだその両国には、まだ心のわだかまりが残っていた。

ジャイアンツのハーマン・フランクス監督は、村上を登板させたことで殺害を予告する脅迫を受け、村上は一時期、FBIに警護されていた。

「それは、私が日本人だからですよ」村上は、5年前の取材で語っている。「それを送った人は、第二次大戦で家族の誰かを亡くしていたのかもしれません」

そんな状況の中でも村上はメジャーリーグに不満はなく、そしてジャイアンツも、彼の投球に不満はなかった。彼は日本に戻るよりも、メジャーリーグでキャリアを終えたいと望んだことが何回もあったと語った。日本で彼は、1966年〜82年の間に、南海ホークス、阪神タイガース、そして日本ハムファイターズで投げていた。

「彼は、ファンのお気に入りだったんだ。ジャイアンツは気がついていなかったんだけど、サンフランシスコにいたアジア系の人たちにとても人気で、それは凄いものだったよ」当時の様子について、ペリーは語った。

しかしながらジャイアンツに彼を送り出したホークスは、当時21歳だった村上を日本に戻して、彼らのチームで投げてもらうという決断をした。

「彼の母と父は、彼らが(ジャイアンツと)どんな契約をしたのか知らなかったって言ってた。誤解していたって言っていたよ。そしてジャイアンツは、日本の人たちと戦わずに、彼を送り出したんだ」

ペリーによれば、村上のメジャーリーグ・キャリアは、6フィート180ポンドの彼がやっていけることを証明したものだった。

「彼は、強い自信をもっていたし、それだけの自信をもつ理由があった。彼は午前8時から午後4時に変化するカーブを持っていた。彼は球界でベストな選手たちと対戦して、彼らと勝負できることを証明した。私は彼を数年間見ていたし、彼はここで投げることが楽しいって話していた」

しかし村上の成功は、日本人選手とメジャーリーグの契約ラッシュのきっかけにはならなかった。そこには、村上によれば、まだ第二次大戦による不安が残っていた。そして日本のファンは、プロリーグが発展途上だったその国で、彼らのトップ選手がプレーすることを望んでいた。

それでも30年後には、メジャーリーグに行きたいと考える日本のトップ選手たちの希望が強くなり、メジャーリーグと日本プロ野球は、日本人選手がメジャーリーグに移籍するための協定を結んだ。

そしてジャイアンツは、今も村上を雇っている。日本のテレビ局で解説者をしている彼は、日本における彼らのスカウトの1人である。

野茂はドジャースと契約し、村上の後の最初の選手となった。彼はクアーズ・フィールドでノーヒッターを達成した唯一の投手(1996年のドジャース)となり、カムデン・ヤーズ(2001年のレッドソックス)でもノーヒッターを記録するなどインパクトを残した。1995年に彼は、ナショナル・リーグ、ルーキー・オブ・ザ・イヤーに輝き、彼の123勝は、日本人投手として最多である。

イチロー・スズキは、マリナーズでデビューした2001年にアメリカン・リーグ・ルーキー・オブ・ザ・イヤーだけでなく、ア・リーグMVP、首位打者に輝き、彼のキャリアはいま、ニューヨーク・ヤンキースで続いている。彼は日本人選手として、初の殿堂入り選手になると見られている。

「日本人選手の存在は、大きくなった」ペリーは言う。「だけど、少なくともメンタルの強さで言えば、マッシーほど強い選手を私は知らない。だって彼らは、村上が直面した政治的な問題に、対処する必要がないんだから」

村上はそれらの問題を、メジャーリーグの打者に対してしたように、コントロールした。少しも恐れること無しに。

参考記事:A half-century later, Murakami's legacy remains strong By Tracy Ringolsby  MLB.com