ロサンゼルス・ドジャースは、15時間の時差の彼方にいる。しかしそのチームの魂は、砂漠に置き去りである。

球界最高の親善大使であるはずのトミー・ラソーダは、水曜日にオーストラリアの偉い人たちと握手を交わすことはなかった。その頃の彼は、孫と同世代の選手たちに檄を飛ばしていた。 

ラソーダがドジャースの開幕戦に立ち会わないのは、この40年近くで初めてのことである。今年は土曜日に、アリゾナ・ダイヤモンドバックス戦が行われる。

そして彼は、テレビ中継が始まる午前1時にアラームをセットする気もない。

ドジャースとは65年の付き合いになる86歳のラソーダは、1963年から住んでいるカリフォルニア州フラートンにある自宅で、新聞によって結果を知ることになるだろう。

「人生で14時間のフライトは、もう十分だよ」ラソーダは、これまでに28か国に訪問したことがある。「次はいらないよ。もしドジャースに行けって言われていたら、私はあの世に行っていたかもね」

「だけどさ、私が最後にそこに行った時は、とても上手くいったんだ」

ラソーダは、米国が金メダルに輝いた2000年のオリンピック・チームを率いていた。そしておそらくそれが、この競技で我が国にもたらされる最後のメダルになるだろう。

「人生の中で、一番のスリルを味わったよ。それなのに、もうオリンピック競技じゃないなんて、胸が張り裂けそうだ。悲しいよ、本当に」

水曜日、ドジャースのマイナーリーグ練習施設でゴルフカートを運転していたラソーダが、唯一落胆した様子を見せたのは、マイナーリーグの投手を指導していた66歳のナックルボーラー、チャーリー・ハフと会った時だった。

「トミー、会えて嬉しいけど、また後でな。この仕事をやっつけないとならないんだ」

そう言ったハフに、ラソーダは叫んだ。

「チャーリー! 仕事なんて言うな。野球を愛しているのなら、仕事じゃないだろ! おい、もっと元気を出せよ。葬式のほうが、騒がしいくらいじゃないか」

元の方に振り返ったハフは、大声で怒鳴った。「OK、お前ら、エンゼルスをぶちのめす練習を始めるぞ」

ラソーダは笑っていたが、彼は160人のマイナーリーガーを前にした講演で、ハフを忍耐力の素晴らしいお手本に使っている。ハフが5度目の自由契約になりそうだった時のことを話すのだ。しかしラソーダがナックルボールを教えると、彼は25年のキャリアを全うした。

「1993年の最初の試合で、フロリダ・マーリンズが相手だったんだけど、ハフと対戦したんだ。45歳になっても投げている彼のことを、本当に誇りに思ったよ。だけど現役が終わったら、彼はうちに戻ってきたんだ」

「私は本当に怒っているんだけど、うちの妻(のジョー)は、喜んでいるんだ。彼はお気に入りの選手だったから、彼女は応援しているんだ。私は彼女を、車から放り出しそうになったよ」

2時間近くもグラウンドでカートを運転していたラソーダは、おもむろにペドロ・ゲレーロの物語りを始めた。彼はカートを止めて、ほとんど全員のマイナーリーグのコーチとインストラクターに話し、その名前を、マイナーリーガーたちに大声で叫んだ。そして火曜日に数名のマイナーリーガーのコーチをした彼は、水曜日のディナーに12人のマイナーリーガーを招待した。

そしてもちろん、彼の舌鋒は止まらなかった。

「なぁ、うちの息子は、今年どこにいくんだ?」ラソーダは、ドジャースの選手育成担当副社長のデ・ジョン・ワトソンにぶちかました。

しばらくの間の後、彼が誰のことを言っているのかに気がついたワトソンは、トッププロスペクトのコリー・シーガーは、1Aのランチョ・クカモンガでシーズンを迎えると伝えた。

「クカモンガ!」ラソーダは叫んだ。「1A? 彼は3Aにしろ」

「私は、ボビー・バレンタインを3Aのショートにしたんだ。そうしたら彼は、二度とショートでプレーしなかった。(GMのアル・)カンパニスに"お前は、私を道連れにしたいのか"って言われたのを忘れないね」

一度もクビにならなかったラソーダは、殿堂入り監督になる過程で、ドジャースを2度のワールドシリーズチャンピオンと4回のリーグ優勝に導き、1986年シーズン中に起こった心臓発作によって引退した。彼は直後に副社長に就任し、現在も彼のボスは、オーナーのマーク・ウォルターだけである。

「このユニフォームを脱ごうと思ったことはないし、私は死ぬその日まで、ドジャースのために働き続ける」

「愛していることを止めろなんて、私に言えるかい?」

ドジャースは、彼がいることを喜んでいる。そして人気の面でラソーダのライバルになる唯一の人間は、殿堂入りアナウンサーのビン・スカーリーである。

「彼は、ここにいる全員に影響を与えている」ワトソンは言う。「彼は全員を見る。彼はメジャーリーガーの心得を、彼らに話して聞かせる」

「それに彼が素晴らしい先生であることは、みんなが知っている」

外野守備及び走塁コーディネーターのデーモン・マショーは、外野手に鋭いゴロを打っていた。45秒観察したラソーダは、その練習を止めた。

「内野手みたいに、ボールにダッシュしろ」彼は叫んだ。「お前らが、ボールに向かっていっているようには見えないぞ!! バットの動きに集中して、ダッシュするんだ」

その言葉を聞いていた彼らは、ボールにダッシュするようになった。「トミー、ありがとう。私は10分間も、彼らにそれをさせようとしていたんだ」マショーは言った。

ラソーダは、投手がいるマウンドまでカートを走らせた。しかし彼が目にしたのは、誰かが投げている姿ではなく、フォームを固めるために鏡に向かっている彼らの姿だった。

「おい、何をやっているんだ。自分に見とれているのか? ボールを投げろ。ボールを投げるんだ」

野球がこれほど変わってしまったことを信じられないラソーダは、頭を振った。彼がプレーをしていた時には、専門のインストラクターなんていなかった。体力強化とコンディショニングのコーチなんていなかった。理学療法士もいなかった。

「足が痛くなったら、泡風呂が必要だった」ラソーダは言う。「足を便所に突っ込んで、流すんだ。トレーナーは1人で、彼らが持っているのは、消毒用アルコールだけ。6回が過ぎると、彼らはそれを飲み始めるんだ」

クラブハウスまで運転して戻るラソーダは、サインをするために、途中で何回も止まった。ほとんどが子どもである。初めのうちの彼らは、なかなか「プリーズ」と言えないが、ラソーダは、彼らがそれを言うまでサインに応じない。そして目的地に到着した彼の携帯電話が鳴った。着信音は、フランク・シナトラのマイ・ウェイだ。

「私の人生は、最高だ。私は幸せだよ、本当に。私以上に幸せな人がいるとは思えないね」

ただし、小さな望みを除いてである。

「もう一度、ワールドシリーズ・チャンピオンが見たいんだ」ラソーダは言う。「ファンは、戻ってきたし、彼らは勝者に相応しい」

「それは、たいした要求じゃない。そうだろ?」 

参考記事:Nightengale: Lasorda a Dodger 'until the day I die' Bob Nightengale, USA TODAY Sports