テキサス・レンジャーズの先発投手ダルビッシュ有と、今年ニューヨーク・ヤンキースと大型契約を結んだ田中将大には、多くの共通点がある。

彼らは、とても素晴らしい高校野球生活を送り、日本プロ野球では、最高の先発投手に送られる沢村賞を受賞し、何度もオールスターに選ばれ、そしてメジャーリーグ・チームと巨大な契約を結んだ。 
 
もう1つの彼らの共通点は、佐藤義則である。

その59歳の投手コーチは、日本プロ野球の北海道日本ハムファイターズではダルビッシュ、東北楽天ゴールデンイーグルスでは田中を指導した。

1月にヤンキースと7年155百万ドルの契約を結んだ25歳の田中に大きな期待をしている佐藤は、ダルビッシュは優秀な投手で、球界のエリートだと語った。

「ダルビッシュは、野球を始めた子どもの頃から投手をしていて、10代の前半の頃には、すでにずば抜けていましたから」イーグルスがオープン戦を戦っている西日本の倉敷で、佐藤はインタビューに応えた。

「だけど田中は、元はキャッチャーで、高校の時に投手にコンバートしたんです」

「田中は、ダルビッシュのことを本当に尊敬していますし、彼に近づくために本当に努力しています。彼はもうほとんど、ダルビッシュと同じくらいのレベルに来ていますけどね」ダルビッシュが新人だった年から3年間、ファイターズで彼をコーチした佐藤は言った。

田中とダルビッシュは、春と夏に行われる高校野球のトーナメントで活躍したことで、有名になった。

2004年に高校を卒業したダルビッシュは、ドラフト1位指名でファイターズに入団し、田中は2006年に、1位指名でイーグルスに入団した。

ダルビッシュが、最高のステージで投げる運命を順調に進んでいるように見えていた一方で、日本チャンピオンになった昨シーズンに24勝0敗を記録した田中は、佐藤の洞察力とコーチ能力がなければ、そのような成功を収めなかったかもしれない。

佐藤が投手コーチとしてイーグルスに加わったのは、田中がNPB3年目のシーズンを迎える前だった。当時の田中は、ストライクゾーンの低めに投げるファストボールのスピードが上がらなくて苦しんでいた。

そして佐藤は、イーグルスにコーチとして加わる前から、どこを直せば良いのかに気がついていた。

最大のアドバイス

ファイターズを離れて1年後の2008年、佐藤は西日本の神戸にある自宅で、野球のテレビ中継を見ていた。

彼が、テレビの野球中継を見ることはあまりないが、その日は福岡ソフトバンクホークスを相手に田中が投げる日だったので、見てみようと思ったのだ。

その試合中、佐藤は田中の投球フォームのあることに気がついた。踏み出した左足が地面についた時に、左膝が外側に逃げるのだ。それは直さなくてはならない。佐藤はそう考えた。

しかし彼は、次のシーズンに田中のコーチになるとは、夢にも思っていなかった。

11勝7敗で、高卒の投手としては、松坂大輔以来のパシフィックリーグの新人賞を獲得した翌年の田中は、9勝7敗と大きな活躍をできなかった。

イーグルスの投手コーチの仕事のオファーを受けた時、野村克也監督は、田中のベストを引き出してくれるように彼に頼んだ。

佐藤は、田中の膝の動きが、球に力を伝える邪魔をしており、回転を少なくしていると信じていた。左膝を安定させることで、田中はより効果的な腕の使い方をできるようになり、球速もアップすると考えた。

トレーニングキャンプで佐藤は、田中のキャッチボールを観察した。そして佐藤は田中に、その問題点を指摘して、どんな修正をするにしても、田中が完全に理解していることが必要だと伝えた。

佐藤が田中に指導したその修正は、田中がウォームアップとクールダウンで軽めに投げている時から始まった。

続く2009年のシーズンで、田中は15勝を挙げた。そしてそれ以降のシーズンのすべてにおいて、2ケタ勝利を記録した。

「膝を固定したことが、彼を今のようにしている最大の変更点です。私が彼にした、最大のアドバイスです」

膝を固定したことで、田中が素晴らしい成長を見せた中で、佐藤によれば、ダルビッシュの様に投げる時に腰を低くできれば、田中はさらに良くなる。

日本で21シーズン投げた佐藤は、基礎体力の強い信奉者である。曰く彼が40歳でノーヒッターを達成できたのは、足を鍛えていたからだ。

「トレーニングっていうのは、家を建てるのと同じなんです。家だって、基礎がしっかりとしていなければ、簡単に倒れちゃうでしょ」彼は説明した。「だから体の基礎がしっかりしていることは、良い球を長く投げることにつながるんです。走ることができさえすれば、投げることもできます」

次の大きな目標

北日本の北海道にある小さな奥尻島で生まれた佐藤は、1976年に阪急ブレーブスでプロデビューを飾った。

日本大学にいた時にドラフト1位指名された彼は、7勝3敗でパシフィックリーグの新人賞に選ばれた。そして1985年には、21勝11敗で最多勝を記録した。

彼は40歳の1995年にノーヒッターを達成して、それは2006年に中日ドラゴンズの山本昌が41歳1か月で破るまで、最年長記録だった。

彼の投手たちは、試合中に助けを求めるために、遠くから彼を探す必要はない。佐藤はダグアウトの真ん中に立ち続けているので、次の投球のアドバイスが欲しい時は、マウンドから彼を見つけることができるのだ。

佐藤はまた、テキサスで投げているダルビッシュにも、注目し続けている。その背の高い右腕は、2012年にテキサスでデビューしてから、すでに2回オールスターに選ばれている。しかし佐藤によれば、彼はもう少しいろいろな球を投げていた。

「彼は、ファストボールとスライダーに頼りすぎているように見えるんだよね。日本にいた時は、もっと楽しんで、いろんな球を投げていたけどね」

イーグルスから田中が旅立った後も、佐藤が休む時間はない。次のビッグプロジェクトは、松井裕樹である。

桐光学園高等学校からドラフト1でイーグルスに入団したその大物新人左腕は、2年生の時に1試合で10人連続を含む、22奪三振を記録した。

松井はすでに、イーグルスのローテションに加わるだけの十分なものを見せているが、佐藤によれば、道半ばである。

その18歳は今、全力で投げることができているが、リリースポイントが安定してない。彼の足の強さは十分でなく、そのために投げ終わった後の体が動く。彼のバランスがもっと良くなれば、佐藤によれば、彼はもっと効率的に腕を振ることができる。

「彼には、安定して150キロを出せる能力をつけて欲しいんです。それは私と彼の間の、共通のテーマです」

「だけど今は、好きなように投げさせています。一度にいろんなことを言い過ぎたり、変えようとすると、彼が考え過ぎて混乱するかもしれないからね」

田中の時と同じ様に、佐藤は松井のキャッチボールから直したいと思っている。

今月初めに行われたオープン戦で、先発した松井は、5回を無失点に抑えた。

「彼はそのうち、楽天のエースになるから」佐藤は断言した。

「彼をそうするのが、私の仕事」

参考記事:Yoshinori Sato: The Man Behind the Japanese Arms Race By REUTERS The New York Times