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新しい環境に慣れながら、ルーキーシーズンの高い期待に応えるために、田中には学ぶことがたくさんある。土曜日に行われた最初のスプリング・トレーニングの練習を踏まえると、そのプロセスにおいての重要人物は、黒田博樹なのかもしれない。

黒田が、ヤンキースの155百万ドルの男の指南役をすることで、田中の日本からメジャーへの移行が、可能な限りスムーズに行くように見える。

「チームメイトだから」黒田は、通訳を通して言った。「彼が必要としていることなら、どんなことでも助けるつもり」
その役目を負った黒田がしなくてはならない最初のレッスンは、おそらく投手陣が、キャンプで走りこむ量だろう。ブルペンセッションと投手の守備練習が終わると、黒田とCC・サバシアはクラブハウスに向かったが、田中はイバン・ノバ、そして他の投手に加わって、2面がある広いグラウンドの、約1/4マイルあるラインを4周した。

「あんなに走るって、知りませんでした」田中は通訳を通して言った。「僕は少しゆっくりめに走るんですけど、そんなことは関係ありませんでした」

ピンストライプのパンツとネイビーブルーのトップを身につけて、初めてチームメイトとグラウンドに向かった田中は、黒田と一緒のスタインブレナー球場の横にある2面のダイヤモンドに足を踏み入れ、そのベテランのチームメイトの後に続いて、外野の芝生の上に立った。黒田の呼びかけで2人はキャッチボールをした後に、続く練習のために、ブルペンのマウンドへ移動した。

「いまは、やっとここまで来たという感じです」田中は言った。キャッチボールの相手になるという黒田の誘いは、その39歳が、ヤンキースの高額投資の成功をアシストするつもりであるという、最初の証だった。

金曜日、田中は黒田から、自分を見失うなというアドバイスを受けたが、土曜日朝の本紙のインタビューでも、黒田は同じ意味のことを繰り返した。

「ニューヨークだから。メディアに注目されるし、それは彼には簡単なことではないかもしれない」黒田は言った。「自分を見失わないというのは、本当に重要」

黒田がドジャースでメジャー入りしたのは2008年だったが、広島を離れてロサンゼルスと3年35.3百万ドルの契約を結ぶという、田中とは大きく違う環境だった。黒田がメジャーリーグでデビューした時はすでに33歳で、田中がボンバーズの公式戦で初めて投げるときよりも、8歳も年上だった。

黒田は、田中の実力がメジャーでも通用すると信じているが、ここでより大きな成功を収めるには、マウンド上以外でもすることがあるのが分かっている。

「実力的には、彼がここでもやっていけるって、僕は自信を持っている」黒田は言った。彼の日本での最後の年は、田中のルーキーシーズンだった。「心配があるとすれば、彼がメジャーリーグの文化に慣れることができるのかでしょう。それが鍵になる」

週に1回の代わりに、5日毎に投げるというグラウンド上の適応は、いずれ慣れると黒田は言った。しかし言葉の壁をクリアすることが、米国で6年以上も過ごしながらも「まだ問題になっている」と黒田が言うように、続く戦いとなる。

「知っておかなくてはならない細かいことと、チームメイトとのコミュニケーションが上手くいかない時が、本当に苦しいかもしれない」黒田は言った。「日本の野球でも英語の言葉は使うけど、いくつかの言葉が違うから。例えば"スライド・ステップ"は、日本では"クイック・モーション"って言う。そういうことは、学び直さなくてはならなかった」

「だからまだ学んでいるっていうのは、本当のことなんだ」

黒田は、ドジャースでの1年目に適応するために、元リリーバーの斎藤隆を信用した。したがってもし今年の彼が、同じように田中を助けることができれば、それを喜んで引き受ける。「彼がここにいることは、とても幸運で、感謝しています」田中は言った。

田中の初めての練習は、予想通りメディアが詰めかけた。それは今週初めに、ヤンキースタジアムに200人以上を集めて行われた、彼を紹介する記者会見の後だっただけに、驚くものだった。彼はまた、練習を見に来た数百人のファンも呼び込んだ。

「選手として、こんなに注目されるのは、光栄に思っています」田中は言った。「今日はファンの人も、何人か応援してくれていたみたいだし、そういうふうに応援してもらえるのは、とても嬉しかったです。同時に、僕はまだ、グラウンド上で何の結果も残していないので、トレーニングに集中して、結果を残せるように頑張りたいです」

田中はまだ、最初のオープン戦、最初の公式戦、そして最初のヤンキースタジアムを経験していないが、ピンストライプを着た初日の、もっとも印象に残ったものは何だったのだろうか?

「最後の4周のランニングは、たぶん忘れないと思います」田中は、笑顔を見せながら言った。「とてもきつかったから」

参考記事:Hiroki Kuroda assumes mentor role to Masahiro Tanaka BY MARK FEINSAND / NEW YORK DAILY NEWS