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田中将大が所属する楽天ゴールデンイーグルスは、2013年で発足してからわずか9シーズン目だった。それまでの8シーズン、そのチームが5割を超えて終わったのは2009年の1度だけだった。2013年、初めて日本シリーズを制覇したゴールデンイーグルスは、82勝59敗3分けで5割を23ゲーム上回って終えた。そして24歳の田中は、24勝0敗だった。

楽天球団における彼の存在の大きさは、日本シリーズ進出を決めるシリーズの最終戦で、彼が9回に登板した時の観客のリアクションを見れば分かる。田中はまた、日本シリーズを決した第7戦でもセーブを記録し、それは第6試合で12奪三振、4失点で、シーズン初の敗北を喫した翌日のことだった。



日本人選手の誰も、2013年の田中の活躍の足元にも及ばなかった。目立つ記録は別にしても、その6フィート2インチの右腕は、212イニングの投球でキャリアベストの防御率1.27、リーグ2位の183奪三振を記録し、四球はわずかに32個だった。

今シーズンの田中の活躍は、テキサスがユウ・ダルビッシュに支払った51.7百万ドルとボストンがダイスケ・マツザカに支払った51.1百万ドルを超える記録的なポスティング・フィーを狙える立場に、彼を押し上げた。そしてどちらの投手も、2013年の田中に匹敵するようなシーズンの終り方をしていなかった。

マツザカのベストイヤーは、パシフィック・リーグのもう1つのチームである西武にいた2006年だった。マツザカは186回1/3を投げて200個の三振を奪い、防御率は2.13で、その防御率とK/BB 5.0はキャリアハイだった。過去3シーズンの田中は、より素晴らしい防御率を記録して、2011年と2012年のK/BBは、両方とも8.9だった。

ダルビッシュのベストシーズンは、北海道日本ハムファイターズでの最後の年となった2011年で、彼が24歳の時だった。ファイターズは、楽天とは違って強豪チームで、2013年は2005年の62勝71敗以来で初めて勝率5割を下回った年となった。2011年のファイターズでのダルビッシュは、防御率1.44、276奪三振(奪三振率10.7)、与えた四球はわずかに36個だった。

その時22歳だった田中は、ダルビッシュと競いあった。彼は226回1/3を投げて、リーグベストの防御率1.27と、ダルビッシュと並ぶ6完封を記録した。しかし田中は、ダルビッシュよりも5イニング少ない中で、奪三振数は35個も少なく、ダルビッシュの破壊力には及ばなかった。

2011年のダルビッシュは、数字の上では2013年の田中を上回るものだったが、田中は、投手がより厳しい環境の中で投げてきた。パシフィック・リーグの投手の2011年の防御率は2.95で、打者は.251/.331/348の体たらくだった。2013年のリーグの防御率は、3.57に跳ね上がり、打者は2011年よりも143本も多くの本塁打を記録した。リーグの打者の成績は.262/.331/.376になった。これを例えると、2011年のNPB打者は2013年のダン・アグラで、2013年のNPB打者は、2013年のラッセル・マーチンだった。そして2013年の田中は、それでも2011年のダルビッシュよりも良い防御率を残した。

この様な立派な経歴を考えた田中の値段は、ポスティング・フィーと契約を合わせると、確実に100百万ドルを超えることになるだろう。今シーズンオフのフリーエージェント投手の要求を見ると、それでも安く見える。 過去3年間で防御率4.29のリッキー・ノラスコは、5年80百万ドルを要求した。過去3年で防御率3.85のアーヴィン・サンタナは100百万ドルの契約を狙っている。

田中は、この2人のベテランを上回る能力を持っている。彼のNPBでの成績を横に置いても、スカウト陣は、好印象を持っている。何人かはダルビッシュや、今シーズンのヤンキースで良い投球をしたヒロキ・クロダと比較し、1人は田中を「3番手は間違いないし、おそらく2番手」と評価した。それは田中がノラスコより上で、サンタナをも上回る可能性があることを意味する。そして他の素晴らしい先発投手が30代なのに、田中はわずかに25歳である。

これらのどれも、野球にまつわる典型的な不安を食い止めたり、外国人選手を獲得するときの心配を十分に払しょくすることにはならないだろう。田中がNPBでどれだけ活躍しても、それは大げさに言えば、マイナーリーグの3Aクラスでの話であり、田中よりもスカウトの評価が高く良い成績を持った投手でも、メジャーでは苦戦してきた。そして日本人選手に対するこれまでのミスも、球団幹部の心に残っている。

例えばヤンキースは、2006年に日本から出てきたケイ・イガワと契約するという無計画な決断による失敗の後遺症を長く引きずってきた。26百万ドルというイガワのポスティング・フィーは、ダルビッシュとマツザカにつぐ3番目に大きなものであるだけでなく、2000年にポスティング・システムができてから最初にその制度を利用したイチロー・スズキの倍以上の金額だった。ユウ・ダルビッシュの争奪戦でヤンキースが本気になることができなかったのは、イガワの失敗によるところが大きい(それにその前のヒデキ・イラブも)。

しかしイガワと田中の間に、類似点はない。イガワの日本でのベストシーズンは2002年で、米国に来る4年も前のことだった。彼は29先発で209回2/3を投げて防御率2.49、15被本塁打、206奪三振と、22歳にしては素晴らしい成績だった。しかし旅立つ前3シーズンのイガワは、防御率はそれぞれ3.73、3.86、2.97だった。この3年間の日本のセ・リーグの投手の防御率は4.39、4.10、3.68であり、イガワは平均以上だったが、ダルビッシュや田中、そしてマツザカの様なエースではなかった。

田中には、どんなチームであっても若手投手に求めるものの全てが揃っている。しっかりとした体格で、90マイル中盤のファストボールに、スプリッターとスライダーである。そして彼は、24歳にして弱小チームをチャンピオンチームに引っ張り上げたという、どの日本人投手のポスティング前よりも素晴らしい実績を手に入れた。ホセ・ダニエル・アブレウの行き先が決まった今、彼はアメリカ球界と契約していない選手の中でベストである。

どれだけのリスクがあるのか、フロントオフィスは心配しているだろう。しかし田中を取り巻く評判は、本物である。「フリーエージェントの選手では、彼の様な選手は獲得できない」ヤンキースの関係者は指摘した。変わりは誰もいない。ケイ・イガワ、ヒデキ・イラブ、カズ・マツイらの失敗の全てを忘れよう。才能は勝利をもたらす。そしてマサヒロ・田中の才能は、無視することはできない。

参考記事:A GAMBLE WORTH TAKING JACK MOORE SPORTS ON ERATH