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ボストンの通りを歩く時の彼は、ほとんどだれにも気づかれることはなく、サインを求められることもない。フェンウェイ・パークのお土産売り場で、名前と背番号19番が入ったTシャツが売られるようになったのも、ここ数週間のことである。

ボストンにある彼がお気に入りの日本の焼き肉レストランでさえ、上原浩治専用のテーブルを用意していない。彼はレッドソックスのほぼ完璧な投手で、この驚くべきシーズンで最も活躍している選手である。
 
「野球で勝つためにここに来ているから」上原は言った。「有名になるためじゃなくて。僕には、そんなことはどうでも良いんだ」

しかし彼が残した結果は、その謙虚さを上回るものである。38歳にして上原は、野球史上で最高のシーズンを送っているリリーバーの1人である。首位に君臨してポストシーズンを見据えるレッドソックスで、上原は中心選手であり、彼が数年前に定めた目標であるワールドシリーズで投げることも、手が届く範囲にある。

ブルペンから出て行く最後の投手であるクローザーとして上原は、フォール・クラッシックで最後のアウトを奪うことになるかもしれない。レッドソックスは、それを歓迎するだろう。

「コージがいなかったら、僕たちはどうなっていただろうね」キャッチャーのジャロッド・サルタラマキアは言った。「彼はステップアップして、試合の最後に必要な選手になった」

ほとんどすべての投手成績において上原は、アメリカンリーグで一番のリリーフ投手である。キャリア最多の67登板で、上原は67回2/3を投げて、打たれたヒットは29本、奪った三振は94個、与えた四球は9個で、うち2つは敬遠だった。

対戦打者は、上原に対し打率.126で、最後の95打席でわずかに6安打しか打っていない。彼の2つの球種、ホームベース上で鋭く落ちるスプリットフィンガー・ファストボールと90マイルだがもっと速く見える伝統的なファストボールは、ほとんど打てない。

「注目すべきことだ」レッドソックスのジョン・ファレル監督は、語った。「試合のタイミングに関係なく、1つの決め球を投げて、そしてその後、次の決め球を投げる。彼はその典型だ。彼は相手を、たいしたことがない選手に見せてしまう」

上原は、最近11試合で登板した12イニングをパーフェクトに抑えていて、対戦した36人すべての打者をアウトにするのに要したのは、わずかに142球である。8月17日から、彼は37人の打者を連続でアウトにしている。それはレッドソックスの球団最長記録で、すべてのリリーバーでの記録は、2007年のホワイトソックスでボビー・ジェンクスが記録した41人である。

6月終盤にクローザーになってからの上原は、自責点を1しか与えていない。1点である。彼は4勝0敗、19セーブで、6月5日以降で43奪三振、与えた四球は1つである。

その数字は、フィクションのように思える。「腰を抜かすほどだ」と言ったのは、殿堂入り投手デニス・エッカースリーだ。

史上最高のリリーフ投手だと広く考えられているヤンキースの伝説マリアノ・リベラは、 19年のキャリアで、これらのレベルに達したことはない。

「上原は、たいしたもんだ」リベラは語った。「彼は相手に向かっていく。彼はボールが散らないから、打者の甘いところへ行かない。彼は正しいやり方で、相手に向かっていく。それがクローザーの意味なんだ」

上原はセーブを挙げるごとにマウンドで飛び跳ね、キャッチャーに抱きつき、チームメイトとハイファイブを交わして喜ぶ。

「 投げるときは今でも緊張するから。だからああなるんじゃないかな」上原は言った。「だれもがっかりさせたくないから」

レッドソックスはシーズン開始当初、上原を脇役で使おうと考えていた。7回に投げる役目である。ジョエル・ハンラハンとアンドリュー・ベイリーの2人の元オールスターは、ブルペンの選手の中で彼の上にいた。

「彼はストライクで攻める投手だから、私たちはブルペンに必要だと考えた」ベン・チェリントンGMは言った。「実績から見て、私たちは彼をものすごく気に入っていたし、彼のパーソナリティは、良くフィットするように思えた」

上原は、それまでのメジャーでの4年間で、良い投球を見せていた。しかし昨年の12月に1年契約に合意した時のその右腕は、簡単なプレスリリースしか出されなかった。ロスターのほかの新加入選手の方が、はるかに重要な様子だった。 

その後、ハンラハンは5月に肘のケガでいなくなり、ベイリーは6月に肩の手術を受けた。試合を締める仕事は、耐久性に懸念があるにも関わらず上原にまわってきた。彼はそれを、放り出したことはない。

「そのことは、あまり深く考えなかった。僕はマウンドに行って投げるだけって」彼は語った。「どのイニングだって、やることは同じだから」

長時間になったインタビューで上原は、通訳のC.J.マツモトの助けを借りながら答えいていた。しかし彼は、質問の意味が分かったときはうなずき、常に英語を交えていた。

上原は、メジャーにいる日本人選手にある文化と言葉の壁を打ち破りたがっている。彼はクラブハウスで猥褻な冗談を連発し、ほかの選手とポーカーを楽しみ、今シーズンの初めには日本人記者のテレビカメラを奪い、ファレルに嘘のインタビューをした。

「おもしろい男だよ。性格も良いし、社交的」テキサス・レンジャーズで2年弱、そしていまはレッドソックスで上原のチームメイトである一塁手のマイク・ナポリが言った。 「コージはすばらしいチームメイトで、これまで会った中で、ベストの1人だ」

上原のチーム精神の基礎は、教員を育てる大学である大阪体育大学時代に培われたと彼は言った。そこの選手たちは、上原には強く印象に残っている。

「すばらしいチームってわけではなかったけど、いつも一緒にいたし、プレーも一緒だった」上原は言った。「良いチームメイトでいるということは、重要なことなんだ。ここではボディーランゲージをたくさん使って、コミュニケーションしている」 

上原が人生を変える決断をしたのは、大学生の時だった。コーチが投げたい人を募った時に、彼は手を上げた。外野手だった彼は、高校時代に打撃練習で投げたことがあり、安定してストライクを投げる能力を見せていた。

真剣に投げ始めた上原は、スプリットフィンガー・ファストボールを習得した。その球は、彼が投げる普通のファストボールを、より効果的にした。

日本のセントラル・リーグとパシフィック・リーグ、そしてメジャーのスカウトまで彼に注目した。上原は大学を卒業後、米国でプロとしてプレーする考えが、一瞬頭をよぎった。それは当時は、前例のないものだった。

「一番のところでプレーしたかったから。その時は準備ができていなかったけど」彼は言った。

日本のトップチームである読売ジャイアンツは、上原をドラフト1位で指名した。10年以上に渡って主に先発投手として、彼は112勝62敗、防御率3.01を記録した。上原は、ジャイアンツで2回優勝を経験し、日本のオールスターには8回選ばれた。

元レッドソックスの外野手ゲイブ・キャプラーは、2005年にジャイアンツで上原と一緒だった。彼は上原がアメリカでも通用すると考えたが、それはもちろん圧倒的なクローザーとしてではなかった。

「彼はコントロールがすばらしい、日本のグレッグ・マダックスだった。だけど私は、彼はメジャーで先発の3,4番手と見ていた」現在FOXスポーツの解説をしているキャプラーは言った。「今の彼を見ると、同じ投手とは思えないね。見るのが楽しいよ」

上原は、2004年オリンピックの日本チームで投げ、2006年のワールド・ベースボール・クラッシックでは日本を優勝に導いた。これらの経験は、メジャーでプレーがしたいという彼の欲求を高めることになった。

上原は、2008年のシーズン後にフリーエージェントになった。結婚して息子がいた彼は、メジャーに飛び込むというその考えに、それまでよりも慎重になっていた。ジャイアンツでチームメイトだったヒデキ・マツイは、ヤンキースでプレーするために日本を出ていたが、上原の挑戦を後押しした。

「キャリアを通して、ずっと思っていたことだったから」彼は語った。「だけど、家族のことも考えなくてはならなかった」

上原は、ボルチモア・オリオールズと契約した。数回ケガをしてリリーバーに転向する前の彼は、基本的に先発投手だった。

「彼を健康に保つ方法を試していたんだ。それができれば、彼は投げるたびにアウトを取っていた」ボルチモアのバック・ショーウォルターはそう言った。「彼は特別だ。彼は状況を楽しんでいる」

より短い区切りでの投球で、上原は優れていた。彼のスプリッターは打者を惑わし、三振の山を築いた。彼にはまた、ボルチモアへの愛着が芽生え、自宅を購入した。

「コージは初めてここに来た時から、チームに溶け込もうとしていた」オリオールズのセンター選手、アダム・ジョーンズは言った。「私がこれまで会ったチームメイトで、ベストの1人だと思う」

2011年にオリオールズは、上原をレンジャーズにトレードした。しかし上原は、完全には一度も、ボルチモアを離れていない。彼の妻ミホと7歳の息子カズマは、シーズン中と東京に戻る前、そして戻ってきた後の数週間そこに住んでいる。

「息子が通っている学校が気に入っているし、スポーツもしているから。良い街だよ」上原は言った。「ボルチモアが僕をトレードした時、むっとしたからね」

ボストンでの上原はホテル住まいで、遠征の前にチェックアウトする。彼の家族は時々訪れるが、彼がボルチモアに帰る方が多い。

レッドソックスが彼に1年4.25百万ドルのオファーをした時、彼はそれを選んだ。その契約には、出場数がベースとなるオプションが含まれていた。しかし今の彼が唯一気になるのは、この前代未聞の活躍の行く末だ。

「自分がすべきことを、見失わないこと」上原は言った。「次の投球、次の打者だけのことを考える。それだけ」

たしかに彼は、ワールドシリーズでトップに上り詰めるという夢を実現しなくてはならない。その質問が通訳される前に、上原は微笑んだ。

「もしそれができたら、もう一度その質問を聞いて。その時に良い答えができると思うから」彼は言った。

参考記事:Koji Uehara finds a home with Red Sox By Peter Abraham THE BOSTON GLOBE