ブランドン・ウェブの右腕が、メジャーリーグの投球を披露することはもうない。

その元サイ・ヤング賞投手は月曜日、正式に引退を表明した。それは腕のけがからのカムバックに3回挑戦したあとだった。

「すべてのことを試した。いろんな人たちと一緒に努力したし、違うことも試した。だから後悔はないんだ」ウェブは自身の決断について言った。

振り返れば、メジャーリーグでのウェブの最後の登板は、2009年の開幕戦だった。その時の彼は、肩に違和感を感じて4回で降板した。

その時のそれは、深刻なけがではないようだった。ウェブは34回の先発で、22勝7敗、防御率3.30でサイ・ヤング賞の投票で2位となった翌年のことだった。

2回の手術と数回のカムバックへの挑戦が失敗に終わり、ウェブはついに、他の選択肢がないことを受け入れた。

「絶頂期だったんだ。絶頂期、そして突然おしまい」ウェブは言った。「父が"トップまで行ったんだから、もう苦しむ必要はない"って言ってくれた。僕は、"そうだね。だけどむしろ僕は、少しずつ終わりにしたい。だって突然終わりにするよりも、そっちの方が簡単だから”って感じかな」

2010年のダイヤモンドバックス、そして’11年のレンジャーズでカムバックに挑戦したあと、ウェブはもう終わったと思った。しかし2011年8月に受けた手術で、もしかしたらなんとかなるんじゃないかと考えた。

昨シーズン彼は投げず、ほとんど引退しているような状態だった。しかし野球への想いと、できるだけやってみたいという欲求が、彼にどうにかなるのではないかと思わせた。

そして昨年の11月、彼はレッズの投手コーチ、ブライアン・プライスの元へ駆け込んだ。彼はウェブがダイヤモンドバックスで成功したときに、同様の役目でウェブに貢献した。ウェブはプライスが投手コーチだった2006年にはサイ・ヤング賞に輝き、2007年と’08年は投票で2位になった。

プライスは、もしウェブが望むなら、彼の腕にその力が残っているのかを見るために、一緒に練習をしたいと思っていたと言った。

「もし誰かと一緒にやるなら、彼以外にいなかった」ウェブは言った。

そしてサンクスギビングの直前に二人は練習を始め、そして平らなグラウンドでの練習では、希望の光が見えた。

「カーブはスピンが効いていて、チェンジアップも素晴らしくて、体の動きも良かったから、その時はカムバックできるかもって思った」ウェブは言った。「だけどマウンドに上がる時が近くなって、強めに調整したらまったく違った。腕が思い通りに動いてくれなかった」

ウェブは助けになるかもしれないと思い、1週間休みを入れた。しかし先週の火曜日になっても肩の痛みは治まらず、これ以上できることはないと判断した。

「悔しいけど、ほっとしたところもある」ウェブは言った。「野球ができなくなる寂しさと、僕は十分にやっているのか、もっとできるんじゃないかって思うことがなくなることへの安堵感、両方の気持ちがある。ここ3年間のすべての時間をそのことに費やしてきて、それがすべて無駄ったことが分かった」

ウェブは、これから先のことは、まだ何も決めていない。彼の妻アリシアが、何かしてほしいことがあるんじゃないかと彼は言った。そして彼は、レーガンとオースチンの二人の小さな子どもたちのためにすべての時間を費やすだろう。

しかし野球はまだ、彼を離さない。そして彼の気持ちは、ダイヤモンドバックスに残っている。そこは2000年にケンタッキー大学の彼をドラフトした球団だ。そして彼がメジャーリーグで投げた、唯一の球団である。

「僕にコーチの能力があるのかなんて、分からない」ウェブは言った。「野球に関わることをしたいよね。それが何かは分からないけど」

ダイヤモンドバックスは、そのことについて彼と話をするだろう。

球団社長でCEOのデリック・ホールは、その決断後のウェブに少し時間を与えるつもりだが、その後、球団のためにウェブができることを相談したいと言った。

「悲しい日だね」ホールは言った。「彼は素晴らしいキャリアを過ごして、そして私の意見だが、これからもずっとダイヤモンドバックスの一員だろう。彼はファンと球団のために、素晴らしい投球を披露してくれた。彼は最高の道を進む中で常に一流で 、ダイヤモンドバックスを代表する選手だった。彼はすばらしい父親であり、夫であり、いつも本当の紳士なんだ」

参考記事:Former NL Cy Young Award winner Webb retires By Steve Gilbert / MLB.com