概念的な見方をすれば、33歳は年寄りではない。

しかし野球選手にとっての33歳というのは、長い間、終わりの始まりだった。

最近亡くなったスタン・ミュージアルが、かつて野球選手としての最後のピークだと見られたのは28歳から32歳の時で、その後の彼は自身に少しづつ衰えを感じていた。彼と同世代のミッキー・マントルもまた、33歳から下り坂だった。

30代半ばに差し掛かった選手は、そのわずかになった歩みを失うことになる。野球の歴史のほとんどすべてにおいて、その衰えは自然で、当たり前で、予測できることだった。100年の歴史が物語る、それが避けられないという現実を、最近の私たちは一時的に無視してきた。そして厳しい練習と現代的なトレーニングは、彼らが33、36、そして39歳になっても、指数関数的な能力の向上に務めるべきである、そしてそれができるという自惚れを招いた。

もちろん簡単にそうなったわけではない。そして私たちは今、その過程において不自然な何かがあったことを知っている。ステロイドの時代は終わったと信じられているが、その影響はあらゆるところに残っている。それは30代半ばに差し掛かった選手が、まだ衰えてはいけないといった考え方だけではない。いずれにしても時間の神様はやってくる。

ヤンキースの一塁手マーク・テシェイラは、開幕の1週間後に33歳になる。成績をひとめ見れば、今のテシェイラが29歳のテシェイラとは違う選手であることが分かる。彼のパワーと忍耐力は素晴らしいが、最近の打率は.250前後と以前に比べて著しく下がっている。

彼が若かったときのシーズンを振り返ると、打率は.280から.300で平均40本以上の二塁打、35本塁打、120打点、それは当然の事のようだった。そしてもっとも興味深いのは、彼がそれをとても単純に、とても簡単に感じていたことだ。

「キャリアの最初の6,7年を思い返すと、僕は20代だったけど、とても簡単だった。余計なことは考えなかった。僕はもっと良くなるって思っていて、年をとってけがをするなんてことは起こらないと思っていた」テシェイラは言った。

それはこういうことではないだろうか。年齢は私たち全員に影響を与えるが、それは私たちの目の前にいる年を重ねた彼らであっても避けられない。しかし一人ひとりの野球選手は、キャリアで最高の年にするための、そしてスター選手は他とは明らかに違う人種であることを認めさせるための、万能の方法を探しながらスプリングトレーニングにやってくる。

「おそらく、少しづつ時間が進んでいるんだろうね。永遠にプレーすることなんてできないよ。いつか衰えが始まっても、僕はそれを口にしたくないけど、30本塁打と100打点を打つことは、日に日に難しくなっている」

今冬のテシェイラは、彼の新しい基準を受け入れている。下り坂だと見ざるを得ない3シーズンを過ごしたあと、テシェイラはピークを続けることを追いかけるのを止めて、新しい考え方に改めた。もし彼が打率.250の打者ならば、それならそれで良いというものだ。彼は30本塁打のパワーと90個の四球を選ぶ忍耐力、そしてゴールドグラブの守備を持っている。そして彼が公然とキャリアの終盤と呼ぶものの中で、弱点を気にしないことにした。

「今年で11年目」テシェイラは言った。「あと10年もするつもりはない。良い年を5,6年過ごせればね。だから僕は、キャリアの終盤だって言えるだろう。キャリアの終盤で違うことをしないで、良くなろうともしないで、それがすばらしい結果を出そうとしていることになる?」

成功の新しい定義を受け入れることは、私たちが世界中のベテラン選手に期待を寄せている中で、困難な仕事になるかもしれない。30代前半の選手が10年間の9桁の契約を結ぶと同時に、GMから選手自身まですべての人間が、自然な加齢のプロセスがやってこないか、それを乗り越えることができると信じなければならない。それができなければ、ファンがいずれ、彼には払いすぎだと騒ぐことをテシェイラは知っている。彼はそうなった。そして彼は自身の180百万ドルもの莫大な契約を、正当化できることなんて何もないと言った。

「ニューヨークの誰か、そしてファンの誰かが、君はもらいすぎだって言うことを、僕は気にしていない。僕のせいだから」テシェイラは言った。「僕たちみんながそうだ」

「代理人は、僕がこんなことを言うのを嫌がるだろうけど」彼は続けた。「誰かが20百万ドルの契約をしたときに、それほどの価値はないよね。マイク・トラウトだったら、最低年俸だから、彼にはものすごい価値がある。フリーエージェントになる前の6年間の僕は、すごい価値があった。だけど20百万ドルの契約が正当だと証明するためにできることなんて何もないよ」

それは簡単に受け入れられることではない。そしてここ数年間のテシェイラは、それと懸命に戦った。

2009年に8年契約でニューヨークに来たとき、テシェイラはすぐにファンの期待に応えた。打率.292,39本塁打、122打点とキャリアを代表する年になった。

そして彼は30歳をこえた。けがに苦しめられ、激しいウェイトトレーニングは日課になるなど、物事は少し厳しくなった。対戦チームは彼に対して、違う守備をやりはじめた。彼の引っ張り打法に対処するために、一塁と二塁の間にもう一人の内野手を配置したのだ。テシェイラの打率はそれまでの.290から2010年には.256、そして2011年には.248に下がった。パワーは健在だが、単打は姿を消した。

彼は2012年シーズン前の冬の間に、スイングを変えた。守備位置の変更と年齢の影響があるにもかかわらず、もう一度打率.290の打者に戻ろうとした。彼は皆が望む姿に戻るための魔法を望んだ。

しかしそれは、上手くいかなかった。彼の新しいアプローチは、しつこい気管支炎とともに、シーズン中のテシェイラをキャリア最低の状態に引き込んだ。2012年の真ん中で、彼は自分が間違えたことにフォーカスしていると結論づけた。他の人間が望むやり方の中で、彼はもうできないことに挑戦していたのだ。彼の得点力は、ふくらはぎのけがでシーズンを早く終える前に、わずかに改善した。

「全員を喜ばせることなんてできない。僕は自分ができることに集中する必要がある。そして僕ができることは、ホームランを打って、点数を稼いで、良い守備をすること」テシェイラは言った。

その心構えは、少なくともヤンキースには歓迎されている。ブライアン・キャッシュマンGMは、テシェイラが30本塁打、100打点、.800半ばのOPSであれば十分だと言った。

「以前にしていたようなことが、できなくなったのは明らかだ。だから私は良いところを保つべきだと、それで間違いないと考えている」キャッシュマンは言った。

キャッシュマンは、打率.290がもはや過去のことだと受け入れた。「誰だって、もっとやって欲しいってなるけど」キャッシュマンは言った。「3年連続で.248から.256の間、3年間っていうのは、とても長いデーターだ。だからそれが、彼の新しい標準だと思っている」

それはより低い打率を覚悟しているようにも聞こえる。しかしテシェイラは自信満々だ。彼は何ができて、何ができないのか、そしてそれだけで十分であることを受け入れた。

「ホームランが打てる、そして得点できる選手になりたい」テシェイラは言った。「以前のような選手に戻りたいのもあるけど、もし打率.280でなく、.250や.260でも、それで良いんだ」

参考記事:Teixeira Knows His Limits By DANIEL BARBARISI The Wall Street Journal