アーン・テレムは、スポーツ界でもっとも優秀な代理人の一人であると言われている。彼は、元読売ジャイアンツのスターであるヒデキ・マツイの10年間のメジャーリーグキャリアで代理人を務めた。彼はここに、石川県生まれのマツイに対する特別な思いをつづった。

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2002年の秋、サンフランシスコの弁護士から私に電話が入った。彼は私に、日本の優れた野球選手であるヒデキ・マツイの代理人になる気はないかと私に尋ねた。

私はマツイがフリーエージェントになることを知っていた。そしてその読売ジャイアンツの強打者が、米国行きを望んでいると聞いたことがあった。もちろん私はその弁護士に、マツイほどの選手ならすでに米国での代理人を雇っているのではないかと尋ねた。

その弁護士は「いや、いないんだ」と言った。彼は私に、マツイにアドバイスをしている日本の弁護士と連絡をとるように勧めた。

アスリートの代理人というのは、所属が未定の選手のために常日頃から走り回っているが、上手くいかないことも多くある。しかしこの件は、私の興味をそそるものだった。そして私は、その日本の弁護士にEメールを送った。

彼は翌日に返事をくれた。それからの数週間、私たちは古来から伝わる真理を持ってやり取りをした。それは礼儀、尊敬、謙虚といったマツイが大切にしているものだった。もし私を雇えば、マツイの考えを尊重し、そして家族同様に接すると私は約束した。

11月の終わりに、マツイが代理人として私を選んでくれたことを、日本のメディアを通して知った。

この仕事を始めてから32年間で初めて、そしてこれまでのところ唯一、私はそれまでに会ったことがないアスリートによって雇われた。

その直後のサンクスギビングデーに、私は彼と初めて話し合うために日本へ飛んだ。関西国際空港の税関を出ると、私は取材陣に囲まれた。そして大阪の印象を聞かれた。

それまでに訪れたことがなかった土地に到着したばかりだった私は、手荷物受取所が印象的だったと答える以外になかった。

初めて対面した日に、私とマツイはとても美味しい食事を共にした。二人とも、寿司が大好きだった。そして彼の目標と未来について話し合った。

彼にはメジャーリーグで生きることについて、分からないことがたくさんあったが、ヤンキースに行きたいという、この点だけは確かだった。一方のヤンキースもまた、彼を欲しがっていた。

7年もの間、マツイはピンストライプで奮闘した。初めての本拠地開幕戦では、グランドスラムを放った。

日本でのキャリアを終えたときに1,250試合連続出場をしていた彼は、ヤンキースの最初の3年間でも試合を休まなかった。

2006年、そのチームで519試合目となったレッドソックス戦のさなか、スライディングキャッチを試みた彼は左手首を骨折した。彼はチームメイト、そしてその後ジョー・トーリ監督に、けがをしたことに対する謝罪の手紙を書いた。

2度オールスターに選ばれたマツイがヤンキースで最も輝いたのは、2009年のワールドシリーズだ。指名打者が使えないナショナル・リーグの球場であるシチズンバンク・パークで行われた1試合で先発出場を外れたにもかかわらず、ゴジラはフィリーズを相手に3本塁打、シリーズタイ記録の8打点をマークした。

フォール・クラッシックにおいて、そのような限られたチャンスの中で、それ以上活躍した打者はかつていなかった。打率.615は、そのシリーズで10打席以上立った選手の中で歴代3位。長打率1.385は、ルー・ゲーリッグについで歴代2位。そして彼は、シリーズMVPに選ばれた。

マツイは昨年の12月に野球を引退した。10年間のメジャーリーグを含む20年間にわたるプロ野球人生で、彼は信念を曲げなかった。2,643安打、507本塁打、打率.293、通算成績は殿堂入りに相応しいものだ。

彼のキャリアにおける野球に対する姿勢は賞賛に値する。彼は大阪で初めて会ったときに話し合った真の価値観を貫き通した。それはポール・オニールとかつての偉大なヤンキース選手トミー・ヘンリッチを合わせたような素晴らしいプロ意識だった。彼は個人のことよりもチームを優先し、チームメイトとファンに対する責任を果たした。彼は外野で必死にフライを追いかけるだけでなく、記者からぶつけられる厳しい質問にも落ち着いて対処した。

アスリートが私たちからの尊敬をあざ笑う昨今だが、マツイの模範的な態度は揺らぐことがなかった。日本国民としての誇りと共に、彼はすべてのアメリカスポーツ界のなかでも、もっとも優れた人間の典型である。

彼は隠れて慈善行為を行なっていた。公にすることなく、多額のお金を寄付していた。2005年に津波がインドネシアを襲ったとき、マツイはユニセフに500,000ドルを寄付した。

2011年に彼の母国が津波に襲われたときも、彼は惜しみなく援助した。

マツイは、神から与えられた類まれな能力を他の人のために使うという、めったにいないスーパースターだった。

なぜこのアスリートが、私がこれまでに代理人を務めてきた他の500人以上のアスリートと違うのだろう?

一つ例を挙げれば、以前にヤンキースと彼の最初の3年契約をまとめたとき、彼は私に基本報酬以上を受け取ってくれないかとたずねた。そしてもしすべてがうまく行けば、次回の契約の時に内容を見直しましょうと言った。

数年後にふたたびフリーエージェントが迫ってきた彼は、仕事の打ち合わせをするためにニューヨークで会えませんかと尋ねてきた。私が驚いたことは、マツイは代理人としての私の努力に感謝を述べるだけでなく、最初に取り決めていたものを超える報酬を払ってくれた。

そんなことをしてもらったのは、私のキャリアで初めてだった。そしてそんなことは、二度と起こらないだろう。

参考記事:Tellem’s take: Matsui a special person BY ARN TELLEM SPECIAL TO THE JAPAN TIMES