オークランド・アスレチックスは火曜日、30歳のヒロユキ・ナカジマと6.5百万ドルの契約を結んだ。その遊撃手は2001年から日本の西武ライオンズでプレーして、打率.309、149本塁打、664打点を記録している。

ナカジマがオークランドと契約したのは、ショートでプレーするチャンスがあるからで、それが他のチームと契約しなかった理由だと言った。

オークランドのビリー・ビーンGMは、ナカジマのことを「堅実な守備の攻撃的な選手」だと言った。

日本からMLBに来る30歳の日本人選手に、何が期待できるだろう?それは多くはない。投手がアメリカのプロ野球に適応して成功をおさめている一方で、野手はインパクト不足である。これまでに11人の野手がアメリカのチームと契約したが、うちヒデキ・マツイとイチロー・スズキの2人だけが、大きなインパクトを残した。事実、イチローとマツイの2人だけで22年のMLB経験があるが、残る9人を合わせても39年しかない。一人当たりの平均MLB在籍年数は4年である。

太平洋を超えてきた日本人選手が、どんな結果だったのか見てみよう。

ツヨシ・シンジョー

2001年、2人の日本人野手が、国の両岸の、異なるリーグの異なるチーム、異なる試合でデビューした。西海岸にはシアトル・マリナーズで初の殿堂入りライト選手になるであろうイチロー・スズキがいた。ニューヨークではメッツのセンターに、ツヨシ・シンジョーがいた。

シンジョーは、センターのバックアップを期待されていたが、結果的に400打席を超えた。彼は本拠地開幕戦に出場した後、打率.268、10本塁打を記録した。

「うちのチームに、彼はぴったりだ」2001年の本拠地開幕戦の後にマイク・ピアザは言った。「うちには、彼みたいな才能をもった選手が必要だった。彼は期待通り良かったけど、もっと良くなるよ。彼は私たちにスピードをもたらしたし、筋金入りのパワーもある」

しかし彼は4回しか盗塁を成功させず、5回アウトになっている。

2002年、彼は僅か118試合の出場で打率.238。そして2003年、彼の打率は2割を下回り、3Aへ送られた。そのシーズンを最後に、彼は日本へ戻った。

ソー・タグチ

まず始めにこれを言っておこう。ソー・タグチは2つのワールドチャンピオンチーム(2006年のカージナルスと2008年のフィリーズ)にいた。しかしタグチは、2002年から2009年までに僅か3シーズンしか300打席を超えていない。その間の彼の打率は.279で、長打はキャリアで100を超えなかった(本塁打は19本) 。公正を期すために言っておけば、タグチがカージナルスと最初に契約したのは、30歳を過ぎていた。

カズオ・マツイ

カズ・マツイは2004年シーズン前にニューヨーク・メッツと契約するまで、日本で8年間プレーしていた。メジャーに来た最初の日本人内野手だったマツイは、ついにシーズンで114試合以上プレーしなかった。彼のキャリア打率は.267(日本では打率.309)だった。マツイはおそらくグラウンドのプレーよりも、メッツがホセ・レイエスをセカンドに動かして、高額で契約したフリーエージェントだった彼をショートに置いたことで、記憶されているだろう

そのシーズンの終わり、レイエスはレギュラーのショート選手になっていた。2006年6月、マツイはコロラド・ロッキーズにトレードされた。2010年、ヒューストン・アストロズは彼をリリースした。その後、彼は日本でプレーを続けている。

タダヒト・イグチ

シカゴ・ホワイトソックスでの1年目、タダヒト・イグチは打率.278を記録した。彼はワールドシリーズを制覇した2005年のシーズンのMVPだとオジー・ギーエン監督は言った。

彼は3年間でそれぞれ、打率.268、.271、.267を残した。4年目、そして最後の年となった2008年、彼は85試合の出場で打率.238だった。彼は今、NPBの千葉ロッテ・マリーンズでプレーしている。

ノリヒロ・ナカムラ

ロサンゼルス・ドジャースと契約したノリヒロ・ナカムラは、ダメだった。しかし日本でナカムラは、打率.268、6年連続で40本塁打を記録している。

ケンジ・ジョージマ

米国で初のレギュラー日本人捕手として、4年間の堅実なシーズンを送ったケンジ・ジョージマが、このリストのなかで、おそらくベストだと言えるだろう。最初の2年、彼は10本以上の本塁打を打ち、2009年にMLBキャリアを終えるまでに46本塁打を放った。日本に戻った彼は、その後3年間、控えめにプレーした。

アキノリ・イワムラ

日本で3回のオールスター出場のアキノリ・イワムラは、2007年シーズンの前にタンパベイ・(デビル)レイズと契約した、しかし彼はエバン・ロンゴリアのために、2008年シーズンの前にサードからセカンドへ移った。彼はレイズが初めてワールドシリーズに進出するのに貢献した。

そのシーズンが、イワムラにとって最後のフルシーズンになった。2009年に負った大けがが、彼から俊敏さを奪った。2010年、彼はオークランドとピッツバーグで54試合の出場で、打率.172だった。イワムラはMLBキャリアで、打率.276だった。

コウスケ・フクドメ

彼は2008年シーズンの前にシカゴ・カブスと契約した時、とても期待されたフリーエージェントだった。彼はメジャーの最初の月に打率.327と良いスタートを切った。彼はまた、オールスターに選ばれた。このリストの中で、唯一オールスターに出場した選手だ。しかしその後、彼の成績は瞬く間に落ちた。2009年から2011年、彼は3割を超える出塁率で、カブスラインアップの中で安定した存在を維持した。

2012年、彼はマイナーでシーズンを終え、2013年は日本でプレーすると今月発表した。

ツヨシ・ニシオカ

日本で7年間プレーした後、ツヨシ・ニシオカはツインズと3年9百万ドルで契約した。怪我は、彼が成功しなかった大きな要因だ。2011年、彼は足を骨折した。そしてミネソタにいる間中、それが影響した。彼は今シーズン終了後にチームに契約解除を要求して、受け入れられた後、日本に戻った。

ムネノリ・カワサキ

2012年にシアトル・マリナーズで61試合に出場し、打率は2割に届かなかった。彼は日本では8回もオールスターに出場している。

もちろん、これらの評価にはハンデもある。これらの選手のほとんどは、日本で長くプレーしてレギュラー選手としての地位を確立していた。そしておそらく、既にピークを迎えていた(彼らが日本に戻った時、アメリカに来る前のレベルには、すぐに戻らない)。ラテンアメリカ諸国と比べると、そこにはMLBが主催するキャンプやクリニック、そして野球教室があり、選手たちはとても若い年齢でMLBのシステムに組み込まれる。

2つの国のその競技の間に、構造的な違いがあることを忘れてはならない。日本の球は小さい。全てが土の内野は多くない。そして日本の球場は狭い。

簡単に言うとヒロユキ・ナカジマは、ヒデキ・マツイではなく、カズオの方に近いだろう。

参考記事:Oakland Athletics shortstop Hiroyuki Nakajima has the odds against him Jeremy Binckes, Digital First Media San Jose Mercury News