ボブ・デービッドソンは、正しい判定だと思っていた。彼の中では、疑いの余地さえ無いとさえ思っていた。

にもかかわらず1984年のドジャースタジアムでの試合で、その審判がセカンドでランナーセーフをコールした後、ロサンゼルスのトミー・ラソーダ監督は、ダグアウトから飛び出してきた。

メジャーリーグ3年目だったデービッドソンは、最悪の事態を覚悟した。しかし何かが違った。

「彼が話し始めたのは、イタリアンレストランでとった食事のことで、ワインがどんなにまずかったとか、それだけだったんだ」デービッドソンは言った。「彼は“おい、退場にしてくれよ。だって球場には48,000人もいるんだから”って言うんだ。その“口論”が激しかったのは、忘れないよ」

監督と審判の間の激しいやり取りは、時にファンが見ているものとは違うことがある。審判は常に、いろいろなことに対処しなくてはならない。彼らはしばしば、正しい判定をする以外にも、監督が自分のチームのプレーにイラついたり、ラソーダのケースのようにひどいイタリアンレストランの話を聞いた時には、即席のセラピストになる。そのマスクを被った男たちはまた、芸術的で完璧な動作をしなくてはならない。少しでもにやついたり笑ったりすれば、激しく見えるやり取りが、実はたいしたことではないとばれてしまうからだ。

「監督たちの振る舞いが、とてもヒステリックだと感じたことは何回もある」メジャーリーグで22年の経験を持つ審判のトム・ハリオンは言った。「プロフェッショナルは、そういった感情をグラウンドで出してはいけない。重要な問題に対処するように、冷静に議論をしなくてはならない」

ラソーダが、トルテッリーニとバーミセリについて話しているとき、彼の話を聞きに、責任審判のジョン・キブラーが加わった。

「キブラーは吹き出しそうになって、それをごまかすために口を手で覆わなくてはならなかった」デービッドソンは言った。

そのシーズンのドジャースは苦戦していて、16年間で3回目の負け越しでシーズンを終えた。ラソーダは、チームを活気づける策略が必要だと感じていた。彼は審判に食い掛かることで観客を盛り上げ、チームを奮い立たせた。もちろんデービッドソンとキブラーの二人だけは、彼の本当の気持ちを知っていた。

「監督からの抗議や罵声、言われたことで忘れられないのは、“退場させてくれ”だね」審判のテッド・バレットは言った。彼は19年間メジャーリーグを裁いている。「言われたとおりに、彼を退場にした。そうしたら彼は、喚き始めたんだ。“うちの投手はひどい。うちのブルペンは、だれもアウトにできない。うちの打者はここ3日間、外野にボールを飛ばしていない。うちのクラブハウスには、ろくな食べ物が無い。なんたら、かんたら”って」

「私は笑いそうになったんだ。そしたら彼が私の顔を睨みつけて“笑うな。君が笑ったら、これが演技だってばれるじゃないか”って。だから私は、歯を食いしばって我慢したよ」

長年ツインズの監督を務めたトム・ケリーは、ノーアウト、ランナー1,2塁で犠牲バントを指示した。打者は基本通りのバントをしたが、審判のデール・スコットは、守備妨害を宣告した。1塁へ走る途中に蛇行したからだった。先の塁に進んでいたランナーは、元に戻るように指示された。

「トム・ケリーが来て」スコットは言った。「私は悪い予感がした。そうしたら近づいてきた彼は、“信じられないよ。完璧な犠牲バントをしたのに、アホみたいな走り方しかできないなんて”って叫んだんだ。私を指さしてね。笑いそうになったけど、笑うことは許されなかった」

「その間ずっと、彼が私に文句を言っているように見えていたけど、彼はランナーが、走塁レーンを外れたってわめいていたんだ。時にみんなは、彼らのちょっとした演技に騙されているんだ」

バレットは、本塁で2度起こった際どいプレーの後のことを思い出した。その監督はバレットに、判定については納得しているけど、チームに火をつける必要があると言った。

「彼はつま先でラインを消して、何か印を残していった」バレットは言った。「次の日に、“試合を盛り上げるためだったんだ”って、彼は言っていた」

監督と審判の対決は、時に両者の間の信頼関係が鍵になる。どの監督が物分かりが良いか、誰は“無視”すべきかを分類したとバレットは言った。スコットはしばしば、退場させる決断する前に、その監督に不満を吐き出さている。

「もしそれが続いていたら、“これで退場になりたいのか?”って告げるんだ」スコットは言った。「もし返事がイエスなら、その時の彼の望みは退場なんだ。私や仲間を侮辱しないかとか、彼の行動を見て、それでも彼が退場する必要があると感じていたら、そこで彼を退場させる。もし彼がどうして欲しいのか分からない時は、彼がそうせざる状況を作らない限り、退場にはしない」

1990年代後半、テリー・コリンズがエンゼルスを率いていた時に、あることが起こった。際どい判定の後、コリンズはスコットに歩み寄り、そして言った。「デール、分かっているよな? あの判定は正しい。だけど我々は気に入らないんだ。私を退場にしろ」

スコットはコリンズに、その行動が正しいと見えるように、もっと感情的な行動を見せる必要があると伝えた。するとその監督は帽子を叩き付け、スコットは彼に出て行くように指示した。

「あの後、試合を見ていた人たちが、“なぁ、彼は君に怒っていたな。何を言われていたんだ?”って」スコットは言った。「彼らは、私がとんだ災難だったと考えたみたいだけど、実際は全く違ったんだ」

レイズのジョー・マドン監督は、審判とのやり取りに非常に気を使う典型的なタイプだ。2007年、判定に感情的になったマドンに対し、バレットはあと一言でも言ったら退場にすると彼に宣告した。するとその監督は、「アイ・ラブ・ユー」だけを繰り返した。警告に従わなかったため、バレットは彼を退場にした。

「彼を退場にしたあと、“報告書に何て書けば良いんだ。彼に愛しているって言われたから退場にしたって書くのか?”って思った。困ったよ」バレットは言った。「それまでにどの監督からも、愛を告げられたことなんてなかったからね」

マドンはまた、ヒートアップした抗議のなかでデービッドソンを困らせたことがある。

「私たちはタンパで、凄く汚い言い争いをした」デービッドソンは言った。「そうしたら彼が、私のことをどれほど気に入っているかって話したんだ。だから”私もあなたを気に入っています”って言った。私たちはそれを、鼻が付きそうになりながらやったんだ。彼は戻る時に、スタンディング・オベーションだよ」

バレットは一度、内野安打の1塁での判定で、かつてのヤンキースの監督ジョー・トーリから、長時間の抗議を受けたことがある。トーリは初めバレットの判定を問題にしていたが、彼の話題はすぐに内野安打のことではなく、自身の17年間の選手としてのキャリアのことに移った。

「私は立ちながら、“分かったよ。元の話に戻ろうぜ”って思っていた」バレットは言った。「こういったことがあると、頭から離れないんだ。彼がどうしたかったのか、本当に分からない。彼に止めろと言えば良かったのか、強引に止めれば良かったのか、退場させれば良かったのか、それか彼の息抜きだったのか、本当に分からないよ。過去から現在のことまで考えてみると、僕はセラピストみたいだよ」

監督の抑圧されたフラストレーションが押し出される時に、サンドバッグのように振る舞う。審判の役目とは時に、そのようなものなのかもしれない。審判は、心理学者やセラピストのようにしなくてはならないと言うのならば、それも含まれるのだろう。

「たぶん」バレットは提案した。「ホームプレートの後ろにソファーを置いて、審判はそこに座って、メモを取るべきだね」

参考記事:Skipper vs. ump arguments not always as they seem By Zack Meisel / MLB.com