真夏の日差しが降り注ぐ午後のマンハッタン、46百万ドルのヤンキースの投手は、イーストサイドのおしゃれなアパートから姿を現し、球場へ向かうために、待たせていた運転手付きのレクサスに乗り込んだ。

しかしその車は、北に5マイルほどにあるヤンキースタジアムには向かわない。代わりの目的地はペンシルベニア州スクラントン。井川慶はそこで5年もの間、ヤンキースの2つのマイナーリーグ・チームで投げている。毎日、毎日、そして先発のあとの先発が、マンハッタンへ戻ってくることで完了する。

2007年に日本の大人気チームから引きぬかれ、そして盛大な記者会見までした井川は、ヤンキースの先発ローテーションでの活躍を期待された。16試合に登板した彼は、ほとんどが悲惨な結果で、時には本当にひどいものだった。グラウンドにはブーイングが鳴り響き、彼はヤンキース史上、最悪のフリーエージェント契約の1つと言われた。

最後の登板のあと、2008年の序盤のヤンキースで登板の機会を失った彼は、ファームに追放され、そして戻ってきていない。

それは彼が、毎晩マンハッタンへ戻ってくる以外である。そして井川の普通ではない通勤は、長く不思議な旅の一部でしかない。

この5年間の物語は、過大評価された投手との契約についての大きな間違い、巨大な球団がそれを密かに隠していること、そして野球を愛し続ける少しミステリアスな日本人投手の話である。井川がブロンクスで投げることは二度とないと、ヤンキースは明確にしているが、それでも彼らは、彼がどこかで投げることに年間4百万ドルを支払うことを決断した。彼らは彼を、日本に戻そうとも試みた。井川はアメリカのメジャーリーグで投げるという子供の頃からの夢のために、即座にそれを断った。

そして手詰まりになり、その状態が続いている。そして、ほとんど注目されていないことは、注目に値する。

ヤンキースは、遠く離れた場所の少ない観客の前で、彼を投げさせている。それは若手プロスペクトの行列が、ヤンキースタジアムに向かう途中で彼を押しのける中でである。それでも井川は、決して文句を言わない。そして自制心、あるいは下のレベルに長くいるというどちらかの賛辞の中で、彼はファーム・システムでの記録を作っている。そして契約が終わるまであと数か月の彼は、もしヤンキースの一員でなくても、メジャーリーグへの夢をまだ追いかけかけている。

およそ2週間前に稀な休日があった井川は、マンハッタンの自宅で、32回目の誕生日を1人で祝った。彼はブロンクスへヤンキースの試合を見に行くことも、あるいはテレビでそれを見ることにも、興味がなかった。

「もう、彼らの試合は見ない」井川は言った。「もう彼らに興味はない」

"メジャーでの1年目が開幕することに、大きな不安を感じていますが、ヤンキースタジアムに所属選手として立てることの興奮にも、圧倒されています。どんな時でも僕は、ベストを尽くします" 2007年4月1日井川慶の野球のブログから、

”監督からマイナー行きを通告されました。どういう立場に置かれても、自分が選んだ道なので、前へ進んでいかなければなりません。投げられる場所がある以上、そこで全力を尽くし、チームに貢献していきたいと思います"2007年8月9日

2007年8月にヤンキースが、井川を3Aスクラントン/ウィルクスバレに送った時の成績は、2勝3敗、防御率6.79だった。すでに3人のピッチング・インストラクターが、投球について介入していた。井川は、それまでの投球モーションを止めて、新しいフォームを学ぶように言われた。それには巻き付くような彼の左腕の動き、右足の出し方、そしてマウンド上の立ち位置までも含まれていた。

「あまり上手く行かなかった」井川は先週言った。彼はヤンキース傘下2Aトレントン・サンダーの小さくて混雑したロッカールームに座り、2007年の春を思い出していた。今シーズンの井川は、トレントンとスクラントンを頻繁に行き来している。3Aで1回先発した後、2Aに戻されるのだ。

「2007年のタンパでは、コーチに言われたとおりにしたけど、僕には効果がなかった」彼は言った。「彼らに以前の投げ方に戻されて、それから良くなった」

確かに彼は5勝4敗、防御率3.69を記録したが、それはスクラントン/ウィルクスバレ・ヤンキースだった。

「そう、スクラントン」井川は笑いながら言った。そこは彼がよく行くところである。「マンハッタンから、だいたい2時間10分ぐらい」

英語が限られていることから、井川は通訳のスバル・タケシタをどこにでも連れて行く。井川は、特にチームメイトに冗談をいう時などはつたない英語で簡単な会話をするが、ほとんどの会話は、ヤンキースが給与を支払っているタケシタを頼る。タケシタは、記者からの質問に答える井川を助け、毎日の通勤では彼を迎えに行き、遠征には同行し、井川がマウンドにいるときに監督やコーチがそこに行けば、試合中のグラウンドにさえ行く。

「英語とスペイン語を、少し勉強しているんだ」井川は、タケシタを通して言った。「それを近所で使おうと思って。レストランのメニューはわかるよ。だけど、ブロードウェイとか映画? 無理。彼らが何を言っているのか分からないから」

彼はニューヨークで友人をつくったが、多くはないと彼は言った。彼は5年間ブログを続けていて、稀には知らない誰かに返信もする。彼の個人ブログのたった1枚の写真は、一人でジョギングをしている姿だ。

ロッカールームで井川は、そこにいるチームの選手が8歳〜10歳も若いにも関わらず、よくポーカーに誘われたり、チームメイトは彼からiPadを借りたり、ユーモアのセンスが喜ばれたりしている。

「あまり話さない人のために」トレントンのキャッチャー、オースティン・ロマインは言った。「彼は面白い一言ジョークをたくさん持っている」

現在、肘のハリで故障者リスト入りしている井川は、いつもドア近くの角にある彼のロッカーの前に座り、読書をしている。何人もの選手が、井川の珍しい困難な状況は、めったに起こることではないと言った。彼は名高いヤンキースがフリーエージェントで獲得し、日本では3回もオールスターに選ばれ、いまはメリーランド州ボウイとペンシルベニア州アルトゥーナのような場所でプレーをしているのだ。先週は給料日だったが、仲間の投手パット・ベンディットは、彼のロッカーにおいてあった封筒を、井川のそれと入れ替えた。

井川はベンディットの小切手を返し「いらない」と言った。

2Aの平均月給は約2,500ドルで、井川はおおよそ130倍以上だ。

「彼がしてきたことと、彼がそれを決して威張らないことを、みんなが尊敬している」ロマインは言った。「彼らが彼を上げたり下げたりしても、そしてブルペンに行かせたり先発ローテーションに入れたりしても、彼の態度はいつも同じだ。だけどね、彼の気持ちは、みんな分かっている」

トレントンの試合では、ダグアウトに井川が座る場所がない時がある。そんな時の彼は、ライト側のファールゾーンにある間に合わせのブルペンに転がり込む。彼はときどき、子供の遊び場の横にある日除けの傘の下に座っている。彼がグラウンド上の出来事に反応するのは稀である。

「彼はここに居たくないんだ」ロマインは言った。「彼は、言われたとおりにしている。自分に置き換えてみると、つらいよね」

井川は、ニューヨークの街中で、ときどき野球選手だと気付かれることがある。人々は彼を松井秀喜だと思う。彼によれば、最近まで次に多く間違えられたのは、台湾人の元ヤンキース投手の王建民だった。6フィート1インチで215ポンド、真っ黒な髪の井川は、控えめでありながら強い存在感をもっているが、注目を避けるために控えめな服装をしていると言った。

ニューヨークでの1年目の井川は、特に遅い時間まで開いている日本食店を見つけるのに苦労して、体重を減らした。母国語をきかずに数週間も過ごすことも、彼の悩みだった。冬の寒さも、彼には新しいことで、彼は家に引きこもった。もし寂しさを感じて日本が恋しくなったら、彼は家電量販店に行った。新製品や新しい技術を調査することは、彼が日本でやっていたことを思い出させるからだった。

野茂英雄が、アメリカでプレーする新世代の最初の日本人野球選手となってから16年が経った。それ以来、イチローのように、他にも成功した日本人選手がいて、そして多くの選手が、大きな活躍ができずに消えていった。約15人が日本に帰ってプレーを続け、ほぼ同じ人数が引退した。

井川は、どちらにも当てはまらない。彼は今でも、有名な失敗だ。でも彼は日本でビッグスターだったことからは逃げることができない。日本での最後の5年間で75勝を挙げ、そのうちの3年間では日本のセントラルリーグの奪三振でトップだった。ここ数年は、リトルリーグのワールドシリーズに進出した日本のチームの選手たちが、スクラントンの井川を訪ねてくる。以前の彼は、彼らの憧れだった。数日前、トレントンのチケットセールス事務所に、電話がかかってきた。20人の日系アメリカ人グループが、試合に来たいというのだが、それは井川が投げる日だけだということだった。

「ファンの応援は僕の力になる」井川は言った。公の場で多くの人といる彼は、相手が英語を話す人であっても、親しみやすい。

しかし球場を離れた井川は、極めて個人的でほぼ孤立している。約2年間に渡ってタケシタは彼の通訳をしているが、彼のアパートに入ったのは1度だけ、それもわずかな時間だった。タケシタはクイーンズに住んでいて、井川の車を預かり、彼らが球場へ行くときは、通りで彼を拾っていく。

井川は数年前に、シンプルな理由でにマンハッタンに住むことに決めた。彼はスクラントンは一時的なものだと考えたのだ。1年目が終わった後に彼は一度、ニューヨークでの彼の状況を考えたが、新しい場所を選らんで、学ぶよりも、そこにいつづけるほうが簡単だと考えた。そして何より、2年目のシーズンは、ほとんどをブロンクスにいられるのだろうか? またある意味では、マンハッタンから動くことは、失敗を認めることになるのでは? ということもあった。

時が経つに連れて、彼がマイナーリーグにいることは、当たり前になった。車での通勤は日常になり、井川はこの日常を気に入っている。そして彼のマイナーリーグの監督によれば、彼は5年間で、球場入りに遅刻したことがない。

井川は、結婚していて子供もいる。そして家族は毎年、2か月ほどニューヨークに滞在する。それはいつも、野球のシーズンが終わってからである。しかしタケシタは、家族の誰とも会ったことがない。彼にいつ結婚して、子供は何人いるのかと聞いたとき、井川は微笑み、それは教えたくないと言った。彼は妻の名前さえ明かさないのだ。

「それは身を守るためです」彼は言った。ちょっと不可解である。

チームメイトによれば、遠征中も井川は、試合後も自分のペースを保ち、他の選手たちと行動を伴にしない。彼を目撃できる場所の1つは、日中の外でのランニングである。ヘトヘトになるまで練習するのは、日本のプロ野球選手には当たり前だ。この5年間、球場に着いた井川のチームメイトは、彼が既に外野や観客席の階段を走っていること知っていた。そのあと井川は、チームメイトと同じだけ走る。

アメリカでの1年目のスプリング・トレーニングの井川は、当時のヤンキースのジョー・トーリ監督は、彼が無許可で、フェンスに向かって球を投げているのをコーチが見つけたと聞いて驚いた。ヤンキースは、彼らが組んだ投球スケジュールを井川に与えたが、彼はもっと投げることを望み、ヤンキースが許可しないことに困っていた。

現在ESPNの解説者をしているボビー・バレンタインは、アメリカと日本のプロ野球で監督をした。

「少ないほうが、多すぎるよりは良いという考え方は、日本では通用しない」バレンタインは言った。「こっちに来た日本人投手の問題は、それなんだ。もしヤンキースが知らないときに井川が投げていても、彼がへそ曲がりだからそれをしているのではないんだ。日本の彼らは、もし毎日投げないのなら、君は成功しないよ。成功するはずないよって考えるんだ」

「だから私は驚かない」

しかし井川が、いまもヤンキースのマイナーにいる事は、バレンタインを驚かせた。

「彼は数年前に、日本に帰ったと思っていた」

”先日、(キャッシュマン)GMから、メジャーリーグの40人枠から外れたことを通達されました。日本にいたときから、メジャーに挑戦したいという夢を持ってここまで来ました。この先も、メジャーに挑戦したいという夢に変わりはありません。今回のことも、ひとつのステップだと考えています。日本に戻る気はまったくありませんし、まだチャンスはあると信じています。メジャーリーガーとして活躍できる日が来るまで、モチベーションを高く維持して、チャレンジしつづけます。”2008年7月30日

先週、ヤンキースでの井川の5年間の評価を聞いた時に、ブライアン・キャッシュマンGMは、「災害だ。失敗した」と返事をした。

キャッシュマンは直後に、2008年と2009年に、それぞれ日本の違うチームから、彼を戻せないかと話があったと付け加えた。

「私はスクラントンまで運転して行って、彼の前に座り、彼の能力はメジャーリーグには適応しないというのが我々の評価だと伝えた」日本との取引でヤンキースは、財政的な負担の問題も軽くなるとキャッシュマンは付け加えた。「これは私たちのせいで、私たちのミスだ。彼のではないと伝えた。だけど私は”もし君がいたいなら、他に行かなくても良い”とも言った。そして彼は、2回ともトレードを断った」

キャッシュマンによれば、メジャーリーグの球団は、ここ4年間で井川のトレードに興味を示さなかった。しかし彼は、井川の5年20百万ドルの契約と入札金のおよそ26百万ドルが、チームを遠ざけ続けたことを認めている。

2007年、サンディエゴ・パドレスは、ウェーバーにかかっていた井川の獲得に動いた。キャッシュマンはトレードするつもりがあったが、彼曰く「オーナーが、まだ彼を諦めていなかった」

当時のパドレスのGMで、現在はアリゾナ・ダイヤモンドバックスで同じ仕事をしているケビン・タワーズは、井川がナショナルリーグ、そしてサンディエゴ・ペコトパークでなら成功できるかもしれないと考えた。

「ニューヨークから、彼を助け出せたのにね」タワーズは電話で言った。「ニューヨークの期待は大きく、そしてすぐにだ。そしてもしすぐに成功しなければ、日本人選手にはさらにプレッシャーがかかるし、文化的な適応もある」

去年タワーズは、キャッシュマンの特別スカウトアシスタントを勤め、2週間スクラントンチームに同行した。

「ケイがまだ、そこでやっていたんだ。びっくりしたよ」タワーズは言った。

マイナーでの井川のベストシーズンは2008年、その年は14勝6敗、防御率3.45。翌年は10勝8敗、防御率4.15だった。今は平均的なファストボールを投げる間に、鋭いカーブとキレの良いチェンジアップを混ぜる井川は、スクラントン/ウィルクスバレでキャリア33勝の球団記録を持っている。彼はいくつかの球団記録を持っているか、あるいは近い立場にいる。

しかしキャッシュマンによれば、井川のマイナーリーグでの成果は、彼をブロンクスに近づけるものではない。2008年のマイナーでの彼の成績を見ると、キャッシュマンはQERAまたはQuickERA、(これは投手の防御率(ERA)を元に、三振率、四球率そしてゴロ、フライ比で計算する指標 )が4.52だったと指摘した。

「彼がフライボール・ピッチャーで、メジャーリーグでは良くないと、それが私に言っているんだ」キャッシュマンは言った。「良いかい? うちには投手の穴がたくさんあったんだ。もし彼が、その1つを埋める可能性があったなら、ここに来ていただろうね」

キャッシュマンが”偉大なクラブハウスの男”と呼ぶ井川が、通常はトッププロスペクトために用意されてたスポットを奪っていたことは否定した。彼によれば贅沢税は、時に長いマイナー生活している井川にも引き合いに出されるが、井川をどう使おうが影響しない。「彼は誰の昇格も邪魔していない」彼は言った。「重ねて言うが、彼が私たちを助けてくれるか、私たちが使うことができる他の選手を助けてくれるのなら、贅沢税は問題にならない」

結局のところキャッシュマンは、井川について五里霧中のようだ。 「私がこれまでに耳にした中でも、最も奇妙なケースだ」彼は言った。 「それに腹立たしいね。 学んだのは、日本人投手には非常に慎重になることだ。 私は戦いに勝つために、夢に生きる彼を信用した。それは簡単にはできない。それはまた、彼も苦しめる」

「彼は彼の道を進むんだ」キャッシュマンは付け加えた。それはマンハッタンからの通勤みたいにだろうか。

「そう、彼はトレントンまでの道のりで私を追い抜かすんだ」キャッシュマンは言った。「彼の車は、彼のファストボールより速いんだよ」

”日本シリーズをテレビで見ました。懐かしい人がたくさんいますね。そして時が経つのは本当に早いと感じています。なぜなら、そこにいる何人かの選手を私は知らないからです。僕には11月に満員のスタジアムでプレーできる彼らが羨ましいです”2009年11月4日、日本から。

井川は、質問に答えるとき、しばしばケラケラと笑う。ストイックでまっすぐな彼は、先週マイナーで104試合目で、525イニングも投げていると言われた。彼は5,700イニング以上ベンチかブルペンで座っていて、バスでメイン州からケンタッキー州、リッチモンドからロチェスターを移動している。チームメイト、監督、トレーナー、ピッチングコーチも一緒だ。井川はこの5年で、新人にファールボールが当たらない駐車場所を教えたり、外野の壁の位置がホーム球場とどう違うかを説明できる唯一の人間になった。 

こんな状況を、2007年に日本を発ったときに想像していたのだろうか?

「いいえ」井川は別のトレントンの試合前に、試合用のユニフォームに着替えるために、練習でかいた汗をタオルで拭いながら言った。「それでも野球ができているから。僕は投げてるし、マウンドの上が大好き。それは僕の仕事で、やりたいことでもある。今まで見たことのないような場所にも行ける。僕はベストをつくすだけ」

井川の今までのメジャーリーグでの成績は、2007年から2008年での2勝4敗、防御率6.66。ヤンキースでは力を出せていない。しかし彼は、あと16回以上登板機会があったら、もっと良い結果が出ていたと思っている。

「アメリカは、日本から見たら別世界で、それがアメリカの野球なんです」彼は言った。「僕は、ブルペンからは一度も投げたことがなかった。僕は、中4日で一度も投げたことがなかった。ここのバッターはよりパワフルで、それにも適応しなくてはならない。僕は振り返って、カットボールを習得していてチェンジアップも変えている。アメリカのバッターが手強いことは分かった。だから僕は最初の年にもっと時間があれば、もっと良い結果が出せたと思っている。僕が今持っている物を、その時に持っていればと思う」

来年の目標は、他のチームでこの世界から学んだことを見せることだ。もし彼が、新しいチームのメジャーリーグ枠に対する正当なチャンスが与えられていないと思えば、マイナーに戻ってくるかも知れない。

タワーズは、アメリカと日本のチームのいくつかが興味を示すだろうと考えている。

「一旦、彼のヤンキースとの契約は終わる」タワーズは言った。「状況が変わる。彼は永遠のマイナーから抜け出せると思っているんじゃないか」

バレンタインも言う。「彼よりも能力の劣る左投手なんてたくさんいるよ」

井川は野球ファン、その中でも特にヤンキースファンを見返そうとしている。

「ヤンキースファンは、どうせ僕はどこに行っても成功しないと思っているよ」井川は言った。彼の今シーズンの成績は、トレントンとスクラントンで3勝2敗、防御率3.68だ。「僕は投手としても、人としても成長してる。今までの5年間より良くなる。僕はここに来て後悔していない」

井川と長い時間を過ごしたが、彼でも狼狽えることがあるのが判った。7月14日ヤンキースは、ワシントン・ナショナルズをリリースされたばかりの35才の左腕J.C.ロメロと契約した。ロメロはスクラントン/ウィルクスバレに送られた。

井川はこのニュースをトレントンのロッカールームで聞いた。彼は肩を落とし、椅子に座り込んだ。

叫んだりしたくなることはないのかと彼にたずねた。「僕が?」

彼は首を横にふった。

「僕は日本人だよ」彼は言った。「そうなることは滅多にない。僕は物を投げたり、騒いだりしない。5年間でこんな事は何回もあったから」

4日後、キャッシュマンはトレントンのクラブハウスのドアから入ってきて、井川と遭遇した。彼のロッカーは入り口の近くだ。この二人は2009年以降、”ハロー”以上の長い会話をしていない。しかしキャッシュマンは井川に微笑みかけ、トレントンのトニー・フランクリン監督の部屋に向かい歩きながら、忙しく手を動かしていた。

キャッシュマンはメジャーリーグへの昇格を話し合いに来たのだ。

次の日、ヤンキースタジアムのオフィスに戻ったキャッシュマンは、トレントンの井川のチームメイト、24才の左腕でメジャーリーグ経験のないスティーブ・ギャリソンをヤンキースに昇格させた。今シーズンのトレントンでのギャリソンの成績は、3勝6敗、防御率6.26である。

チームは午後の早い時間に発表した。井川はすでに車に乗って、マンハッタンからトレントンに向かっていた。彼は試合前の練習に参加するため午後3時にはグランドにいなければならなかった。

参考記事:Kei Igawa: The Lost Yankee By BILL PENNINGTON Published: July 23, 2011 The New York Times